2006年7月号 


4周年の節目に 〜樋口ともえの最後のあいさつ?〜
 


アルハムドリッラー、4年です!


この「やすらぎ 人と人をつなぐ月刊総合誌」も、この7月でまるまる4周年となり、8月からは5年目ですね。まずは読者の皆さま、ありがとうございます!そして、編集部の方々、お疲れさまです、おめでとうございます!感謝の気持ちを込めて、この機会に、個人的にこの「やすらぎ」との4年を振り返ってみることにします。


4年前って、私、何してた?思い起こしてみます。2002年8月。そうです、結婚1周年です。恐ろしく前の時間のように感じられます。大学はまだ実質2回生。ひゃあ!としか言いようがない感覚です。
そんな、ほやほやしていたある日のこと。何月だったかは忘れました。編集部の方から、私のお料理に関するエッセイを「やすらぎ」に載せても良いか、とのお話がきました。


私の答えは「イヤです。」なんと!素っ気無い!
その文章に対して、雑誌に載せて良いと思える自信が全く持てなかったからです。「イヤ」だけでは素っ気がなさすぎるので、「代わりにエッセイを書きます」と、案外安請け合い。それが全ての始まりでした。


最初は、自分が(ここがポイントですよ、皆さん、「やすらぎ」が、ではなく自分が、ですよ)、4年も続くなどとは夢にも現にも思わなかったので、非常に気楽な感じで「代わりに書きます」と言った手前、何とか文章を仕上げました。 
 

その、最初のエッセイが、創刊号の8月号だったか、9月号だったかは記憶が定かではありません。確か9月号だったと思います。とにかく10月号ではないことは確かです。10月号には、『24時間絶食の思い出』というエッセイを載せていただきましたが、この文章中で「今回は…」と、いかにも、前にも書いた調子で書いてあるからです。ともかくもそうして、「書く」ことが始まったのでした。


「やすらぎ」アーカイブをみる限り、最初の頃私は、書いたり書かなかったりの月々でした。しかし、2003年7月号では、一つの転機が訪れます。『ヒジャーブとバリアとスティグマ』という、自分にとっての「ヒジャーブ4部作」の始まりである作品を書いたのです。1作目では、ヒジャーブ着用に関する悩みと、その悩みに関する自分なりの見解を述べたのですが、4部作の最後、『ヒジャーブその後』では、ヒジャーブを大学でも着けるようになったことを書きました。つまり、それら一連の作品と同時期に、私の実生活においても、ヒジャーブということに関して自分の心の変化を体験したのです。


そしてこの作品群は、初めて読者の方からご感想を頂いたことでも、自分にとって記念碑的なものとなりました。


さらに、ヒジャーブに関して、大学で以前から相談に乗って下さっていた先生のご厚意により、その先生の受け持ちの講義にお邪魔して、ミニ講演をすることになりました。その講義のためのレジメにも引用され、多くの受講生に配られたのも、このヒジャーブ4部作でした。


書くことは、ただ紙に字を埋めるということではなくて、表現すること、そして表現することでこんなに嬉しいことがある、と初めて思いました。
 

私はもともと、書くことが苦手なほうでした。今もその意識は変わりませんが、そしてうまく言えませんが、「やすらぎ」で書く経験を多くさせていただいたことで、書くことに対する考え方、「思い」のようなものが、少しずつ変化してきたように思います。
 

また休み休みの時期が過ぎ、2004年8月、『カレッジの小石〜小さな私の、オクスフォード旅行記』の連載を始めました。「つづく」ものを書いたのは、これが初めてでした。途中、読書案内エッセイやお休みをはさみ、2005年11月、全11回で終了しました。これは、オクスフォード旅行記であるにも関わらず、オクスフォードに着くまでが長く、「7」の時点でやっと、ヒースロー空港に到着したところを書いたという、変わった代物になったのですが、「毎回楽しみにしています」などの、うれしいご感想をいただきました。
 

旅行記を書いている間に、私は大学を卒業し、働き始めました。今年の4月、大学院に行き始めるまでは、途中『入院記』をはさみ、『〜2作』という読書案内エッセイのシリーズを書きました。これはそれ以前でも単発で書いていた経験から、こういうシリーズも楽しく書けそうだと思ったことがきっかけでした。
 

今では、書くことは「発信する」こと。とりあえず表現してみる、から、発信する、伝えるへと、意識が変わってきました。『〜2作』シリーズは、まさしく発信の感覚で書きました。
 

やすらぎに書かせていただいたエッセイの一部は、そのまま「思い出」でもあります。こうして振り返ってみれば、その要素は濃いですね。『入院記』などは、まさにそうです。また、ヒジャーブ4部作の背景には、教育実習があります。教育実習そのものに関してはあまり詳しく書きませんでしたが、この時期の心理的変化に、非常に大きな影響のあったできごとでした。そういう意味でも思い出です。そして、本業である、障害児教育に関するものも、ちらほらと書いてきました。


時に孤独で、時にアイデアが湧かず、「煮詰まった〜」とか、「書けへ〜ん!」などと叫びながら、時に締め切りに追いまくられていると感じながら、何とか(断続的でも)続いた4年。たった1本のエッセイを書くだけでも、4年と思うと「おお…」と感慨深いのに、多くの記事を束ねていらっしゃってきた編集部の方々は、さぞご苦労されたことと思います。そのご苦労のうち、私がギリギリになったり、遅れたりしてご迷惑をおかけした部分は、大変申し訳無かったと反省しております…


全くえらそうなことは言えませんが、この4年で、ほんの少しだけ、書くことの大変さを体験したので、「読む」ことも少し変わったように思います。以前私は、何も考えず、作品の書き方などについて、自分の思う枠組みに合わなかったりすると、書き手に対して批判的に思ったりしていましたが、本当に少しだけ、書き手が「書いていた時」をふっと想像できたり、ここはこう思って書いたのではないかなどと、背景に思いを馳せることができるようになりました。


やすらぎにエッセイを書くことで得た、体験、「書く」感覚、「読む」感覚、そして読者の皆さまからのご感想は、私の財産です。今まで、書かせていただけて、本当に良かったです。アルハムドリッラー。感謝の気持ちでいっぱいです。


これは別のところに投稿した時のお話ですが、前編を書いて、後編をすぐ次の号に書く予定が、延び延びになってしまい、一月あけてしまいました。その時、「たくさん読むところがあるんだから、私のところなんて読まれないよ。」と夫に言っていました。「そんなことないよ、続きが気になります、なんて言われたらどうする?」と夫。そうすると、その、穴をあけてしまった号に、私の前編に対する、読者の方からのご感想が!「この記事を興味深く読みました。続きが気になります」…「ああ!やってしまった!」と大変後悔し、その次の号に間に合うよう、後編を仕上げました。
読者の皆さまのおかげで、こうして書き続けられます。本当にありがとうございます。


これからも、どうぞよろしくお願いしますね。

 


 


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