2004年9月号 


ギュレン氏の提案

by Dr. Suat Yildirim
 


ギュレン氏はヨハネパウロ教皇にアンティオキア(トルコ南西部の都市)やエペソ、エルサレムなどの歴史的な聖地に揃って訪れることや、アメリカなどの大都市で会議を開くことなどを提案した。彼はまたウルファ(イブラヒーム預言者が生まれ、火に投げ込まれた町として信じられており、中東文明の中心であった)に大学またはユダヤ教、キリスト教、イスラム教を教える神学部を開設することなどやエルサレムをこれら三つの宗教の信者たちに開かれ自由に訪問できるようにとの提案をした。これら全ての提案は三つの宗教の信者たちのよりよい理解につながる重要なステップを意味する。宗教学者として確固とした信仰を持つギュレン氏はムスリムが他の宗教の信者たちと一緒になってもムスリムとしての信仰や信条が害されることはないとしている。また、過去の敵意は対話をするうえで障害になるべきではないともしている。


対宗教運動に対する協力


ムスリムは物質的力においてはクリスチャンに負けている。しかしながら、ムスリムたちの信仰は確固たるもので世界にオファーできることはたくさんある。現在起こっている問題の大部分は唯物主義的世界観や宗教に含まれる道徳観に人々が無関心であることが挙げられる。ゆえにムスリムやクリスチャン達は、腐敗や唯物主義文明または独自の霊性や道徳観の手中に収められた世界の傷ついた魂たちに新しい希望を注入することができるはずである。これは西の非バイアスな思想家たち(Olivier Lacombe, Michel Lelong, Montgomery Wattなど)が望むことでもある。

 

彼らは明白にこう述べている「唯物主義や世俗主義にこころ奪われた西世界はムスリムの信仰の力と神への従順さを見ることにより宗教へ戻ることができる」と。それならばなぜ対話によってイスラームの精神や道徳観を世界に推し進めていかないのだろうか?もしイスラームがイデオロギーや政治的武器として敵に勝るために使われるものとしてみられなければ、もしムスリムが名前だけのムスリムでなければ...誰もがイスラームの価値の受け入れと推進に満足するのではないだろうか。


個人的な意見ですが、上のような意見を読むと以前クリスチャンだった私はとても暖かい気持ちになれます。一部反対する方も居られるとは思いますが、今の複雑な世界ではこのような平和路線でいくのが一番いいような気がします。余談ですがキリスト教系の同志社大学でイスラームが教えられ始めたというのも、世界平和にむけての大きなステップだと私は思います。十字軍などの問題で一歩譲れないムスリムの方も居られるようですが、私は長年クリスチャンだったので彼らのすばらしさを知っていますし、彼らを知っているがゆえ寛大になれる自分がそこにいます。言いたいのは、お互いを良く知り理解することによって憎しみや過去の不和は軽減されるということです。これからたくさんのムスリム達が預言者様のように寛大になられて世界を暖かく包み込んでいけますよう切に願っています。


 


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