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2008年2月号
裏切りのない愛
「人に愛されるようになるための10ヶ条」、「こうして私は愛される人になる!」-
こんなタイトルの雑誌や本は現代では驚くほどに溢れています。
人々が愛について知りたい、愛が永遠のテーマであるのはいつの時代も変わらないようです。「愛」についての本や雑誌が爆発的に売れる背景に、マニュアルに頼らないと人を愛せない、愛され方がわからないといった悲しい現実が見えてきます。家族、子供、友人・・・
対象は様々ですが、自分勝手な愛情を押し付けて相手を振り回している事に気づかない、相手から思ったように愛を感じないからと憤慨する・・・。このような現実は、最近の事件などからも分かるように、周囲の人々や家族への無関心さと愛するより愛されたいという過度な自己愛によって歪曲化(わいきょくか)してきているように思います。
「愛」とは、「愛する」とはどういうことなのでしょう。年齢的にはとっくに大人の仲間入りをしているので、私は当然理解しているとずっと思ってきましたが、イスラームに出会って何に対してそのような自信を持っていたのかと恥ずかしい気持ちになりました。そして、本当の意味を私は知らなかったのだと認めざるを得ませんでした。例えば、「私は家族や子供を愛しています」ということが、一般的には、当然の発言だとしても、私は感情を抑えるよりも、自分勝手な感情の起伏によって周囲を犠牲にしている言動をとっていると反省することが度々あるのです。また、周囲に無関心でいれる自身が愛情の薄い人間であることを認めることにも自我が邪魔をし難しいと感じてしまいます。
ある時、友人が「自我を感じる時にこそ、アッラーのご満悦のために、アッラーがお喜びになるために、と思えば何でもできる気持ちになれるよ。」と教えてくれました。この友人が言うようにアッラーを信じ、お喜びになられるよう、アッラーゆえに全ての行動をおこすということが、私達の世俗的な感覚、自我を正しい方向へと導き、周囲への愛情を豊かにするということにつながっていくのだと思います。
アッラーは罪をおこす私達に、存在するための命と過不足ないお恵みを与えて下り、そしてそれは永遠です。このようなアッラーの愛に包まれて、とても暖かく、ふわふわと浮かんでいるような心地よさ。私はムスリムとなって、アッラーを愛するということに長い間ピンときませんでしたし、やはり目の前のことばかりに捉われてしまい、現在も十分ではありません。しかし、このような裏切らぎりのない、心底安らぐ感覚は、私がムスリムにならずにいたら、きっと私の人生には訪れなかったでしょう。そして、その対象を誰かや何かにして依存し、満足できずにいたでしょう。
アッラーが私達を十分に愛してくださっているということにもっと感謝し、片時も忘れないようにしないといけないと思いました。そして、アッラーがお喜びになられるよう、アッラーゆえに生きるアッラーへの愛をもっと深いものとし、私達自身、家族、子供、社会へと広げていく役割を担っていかないといけません。それには、自分自身がもっとアッラーを愛している証明を行動とし、まず近しい家族や子供に愛を持って接することができるように、そして周囲へと広げていけるように。そしてまたアッラーへの愛としてお返しできるようになりたいと思います。
「あなたは見ないのか。アッラーは地上の凡てのものをあなたがたに従わせ,かれの命令によって,船を海上に走らせられる。また天をかれの御許しなく地上に落ちないよう支えられる。本当にアッラーは人間に,優しく慈悲を垂れられる御方である。」(聖クルアーン
巡礼章第65節)

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