2006年12月号 


1年後の入院記〜退院までの日々 編〜


「先生の診療 まだ時間はかかるけど 傷口としては順調 退院は金曜日くらい
今後の身のふり方を考える。


洗濯はいつするか?何を持って帰ってもらうか?本は?本を読み続ける体力が無い。
焦らない方がいい。ボーッとするためにここにいるんだから。あと、しゃべりにくいのって舌がマヒしてるから?いや違うよな…
昨日おもしろかったこと。咳の寸止め。
最近してないこと。 あくび、大笑い、走ること(早歩きさえ)」

これは、去年2005年の11月28日月曜日に、私が「入院ノート」に書いたつぶやきです。


喉の手術の日から4日目、すごくしんどいわけでもなく、かといって完全に回復したわけでもない、微妙な状態の体と、焦る心のアンバランスでゆらゆらしていた時期でした。

 

そして、この日が朝夕の点滴最後の日。11月中に退院できると思っていて、12月2日が退院予定日だと言われ、少ししょんぼりした日でした。大好きな読書も、なぜか長時間続けられず、がっかりしていた時期でした。かさぶた形成時で、手術直後に次ぐ、第二の大量出血の危険性があったので、激しい運動は控えないといけませんでした。入院中なんてもともと、そんな激しい運動をする機会もないし、走ったりする必要も無いと、普段は思うのですが、あの時は、「するな」と言われると妙につらくて、走りたい走りたいと思っていました。


朝には、「初めて朝まで一気に眠れた」と書いています。前夜の夜中の2時、痛みで目が覚めてボーッとしているところを、看護師さんに発見され、就寝前にも痛み止めを服用することになったのでした。

「今日は窓から青空をみた。雲もみた。夜景もみた。きもちよかった。」
これが翌日です。


「FlipFlap入れ替える。こういうのと、こういうの どっちも元気になった。」

一体何をしたのかと言うと、廊下の窓際に置いてあった、ソーラーで葉っぱが動く観葉植物(のおもちゃ)2つの、場所を動かしたのでした。誰かのお見舞い品で、廊下を通る人のほとんどが注目していたこの観葉植物、1つは日当たりが少なくて苦戦している感じで、もう1つはちょっと元気すぎる感じだったのです。どちらも元気になったら良いなあと、こっそり場所の入れ替えを決行。結果的に企みが成功して嬉しかったのです。


そしてまた次の日。前夜に血と組織のようなものが出たことを医師に報告。左のかさぶたがとれ、血がにじんでいるが、ドバッと出血する兆候はないと言われて安心しました。ちっちゃい組織、ときいて、「おっれっらっは かさぶた団っ!」と歌詞つきでノートに絵を描いたりしています。退院も決定。


「P.M.5:00 痛い 特に左が。右は変なもんがひっかかってる感じ。
妙に咳したい感じだけど、痛いからやだ」


などと書きつつ、夜には「アッラーへの感謝で泣く」とあります。
退院前日の日。退院の前に、「屋上に上がって景色を見てみたい」と看護師さんに質問を決行。すげなく却下されました。最近は、最初から屋上には上がれないようになっているそうです。シャワーはほどほどに、堅いものもまだ×、と言われた記述があります。

「P.M.1:30くらい。右の変なもん、とれた感じ。鏡でみるとまだ膜張ってる。
2:00 向かいのおばあさんに、退院おめでとうと言ってもらう。すごく嬉しかった。
3:00 痛い。
4:30 お腹空いてんだけど、痛くてムリ。」

そしてとうとう、12月2日、無事退院しました。たった1週間あまりで、街はがらっと雰囲気が変わり、すっかりクリスマスムードに包まれていました。ナースステーションの近くで、看護師さんたちがクリスマスツリーを用意していたのを思い出しました。ノートには、1日の朝の10時ごろ、「看護師さんがクリスマスツリーの用意をしている」と書き、屋上を断念した後、「クリスマスツリー見る」とあります。


今ではその全てが過去のことですが、退院した日は、あのクリスマスな街の感じを見た時、私が病院にいた時と同じ時間が、外でも流れていたんだと、不思議に感慨深かったことを憶えています。


1年が経った今でも、折にふれてこの入院ノートを見返しています。通常の「生きる」よりほんの少し、意識的にささやかな我慢や努力をして(指示通り、うがい薬を日に4回、もその1つです。一瓶無くなりました)、何かが起きても、いつもよりもっと小さなできごとばかりだけれど、その小さなことにすごく喜んだり、驚いたり、笑ったり(顔の下半分の筋肉は動かさず)して、生きていた日々。その日々を思い出すと、ほんの少し、また元気になる気がするのです。
 


 


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