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2006年8月号
一滴の酒
「どうして寛容であるはずなのに、神は料理に使う酒さえ禁止している事を預言者は伝えているの?」友人から食事に招かれた時、私が食べられるものとそうでないものを説明した時に、友人が疑問に思い私に尋ねた質問です。
日本料理ではよく日本酒を使います。私の実家にも家族の誰もお酒を飲まないけれど、戸棚には料理酒が置いてあります。日本ではお酒は他の調味料のように気軽に使っています。友人の質問に対して私は、人間は弱い存在である事や、もし酒を食する事が許されれば制限を越えることもあり得るという事を説明しました。友人は納得したかどうか分かりませんが、とにかく酔わない程度の酒が食せないという事に疑問を感じたようでした。
料理に使う酒に関しては人それぞれ解釈が異なると思います。アルコールは火を通すことでとんでしまうので構わないとする考えや、やはり酒を料理に使うことは避けるべきであるという考えなどがあると思います。
友人の質問に対して、人間の弱さや人間の制限の無さを説明しましたが、人間は自分自身ですべてコントロールできる存在であると強く信じている人は、私がした説明に納得しないと思います。理性があるのだから自分くらいコントロールできると強く思う人も多いかと思います。私も人間が弱い存在であるという表現にかつて疑問を感じていたので、その思いも分かります。自分の強い意志があれば、何を禁じられる事がなくともうまく生活が送れると思っていました。
また別の知り合いに、私達は男女の手が触れ合う事も避けるというと、「そんなに厳しいの?」ととても驚いた様子でした。この時も私は人間の弱さや制限の無さについて説明しましたが、やはり厳しいなという印象は変わらなかった様子でした。
私は人間がそれほど強いものだとは思っていません。強いものならば、酔って事故を起こす人も一切いないだろうし、わいせつな行為で捕まる教師も存在しないでしょう。イスラームで飲酒を禁じていても酒に酔って暴れるムスリムがいるのだから人間は決して強いものであるとは思えません。理想では人間は理性で自分をコントロールできると思いたいですが、現実には何が正しいか、間違えたことかもよく分からなくなる状態もあります。
だから人間は学校においても、法律においても、社会においてもたくさんの規則を作る必要があったのだと思います。それほど人間とは弱い存在なのでしょう。
ラマダンには食事制限がもうけられ、ムスリムは夜明けから日没まで一切の飲食を絶ちます。その際に私はより人間の弱さを感じます。食事をしないとなぜか気持ちが引き締まります。経験すると分かると思いますが、断食の最初は食事のことばかり考えるのですが、そのうちくだらない事を考えなくなり、神経が研ぎ澄まされていくようなそんな感じがしてきます。空腹の時のお祈りも普段とは違ってきます。ラマダン中はいつもよりも気持ちがこもっているような気がします。
今年もラマダン中に人間の弱さをもっと感じたいと思います。そうするとエゴの塊の自分や、威張った自分が姿を消し、謙虚な自分が現れてくるからです。そんな自分を発見することはとても大切だと思います。

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