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2004年12月号
善行
新たな年がくると、目標を立てますが、私の家ではハディースを目標のように掲げています。ハディースは預言者が行ったこと、話したことをもとにしていて、ムスリムはそれを見習うべきですから、ハディースは私たちにとって目標のようなものでしょう。その目標に向かって進めば、預言者のように正しい道を歩めるでしょう。インシャアッラー。ハディースのなかには、次のようなものがあります。
「あらゆる人間のすべての手足の骨は、日が昇ったら毎日施しをしなければならない。相手ときちんと付き合うことも施しなら、ひとがのりものに乗るのを助けたり、そこに抱き上げてやったり、持ちものを渡してやることも施しである。優しい言葉も施しなら、礼拝に赴く一歩一歩も、道路から危険なものを取り除くことも施しである。」
このハディースは人間が常に善い行いをすることを表わしていますが、毎日毎日善行を積むことを目標にしていれば、自然とそういう行動が身についてくるものです。ある日、自転車をこいでいると、大きな石が落ちていましたが、私はそれに気づいて避けて通りました。しかし、その時日は沈みかけていたのでその石を道から取り除く為に自転車を降りることなく家に帰りました。もしこの後暗くなってから、誰かがこの道を通ればその石に気づかずに転んでしまうのではないか、とずっと気になってその日を過ごしました。
次の日にまた自転車でその場所を通るとまだその大きな石が落ちていたので、すぐに道路の脇に寄せました。その日とは別の日に、台風かなにかで、雨が激しく降った日の次の日に、道路に木の枝が落ちていた時がありました。私はその日も自転車に乗って出かける途中でしたが、道からその落ちている木の枝を取り除いている人を見ました。大きな石を道から取り除くことができなかった日、私はこの台風の次の日に見たことを思い出していました。ハディースには特別なことが言われているのではなく、ごく当たり前の善行について言われているのだな、とその時実感しました。
ムスリムではないその人の行動から、人間はもともと備わった知恵のようなもの、素直に善行を行おうとする知能があるのだ、と改めて思い直しました。人間は生まれる時、ムスリムとして生まれるが、成長する過程で、いろいろな影響を受け、ムスリムという立場から遠ざかっていってしまうということを聞いたことがあります。確かにムスリムではない人々、他の宗教のもとに生きている人々と接しても、ムスリムのようだなと感じる瞬間がたくさんあります。あるいはムスリムと共通した部分があるのだなと感じる時もあります。善行を積むことは人間が生まれながらにもった特質であり、能力としてすでに備わっているものであり、私たちを取り巻く様々なものが人間の善行を積むという行動を妨げていることもあります。
例えば、時間にしばられていて、善行を行う時間を失ってしまう。あるいは、自己利益だけを求めた結果、他者を思いやる気持ちを失ってしまう。といったことは日常の生活を省みるとしばしば見受けられます。別のハディースで、ある男が預言者にアッラーも人々も私を愛すような行いについて尋ねたところ、「現世から身をひけば、アッラーはお前を愛されるだろう。人々が所有してるものから身をひけば、人々はお前を愛すだろう。」と言いました。このハディースはそんな毎日の生活だけに縛られないように警告したものなのでしょう。

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