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2003年10月号
イクリマの話
前号で予告したように、今日はサハーバの一人「イクリマの話」をとりあげます。はじめからイスラームを受け入れ預言者とともに過ごしたサハーバたちもすばらしいですが、彼のように預言者の最大の敵だった人がイスラームを受け入れ、殉教するにいたる話もまた感動的です。
主人が書いた以下の「イクリマの話」を読みながら、何度も涙を拭いました。この話は私たちに多くの教訓を与えてくれます。
例えば、イスラームに嫌悪感を示す人に会ったとき、私はつい感情的になって反発を感じてしまうことがあります。でも預言者の優しさによってイクリマが心を開き、模範的なムスリムになったことを考えると、イスラームに敵意を示す人にこそ、広い心で接しなければならないのかもしれません。アッラーの導きによって、誰でも模範的なムスリムになるかもしれないのですから。
アブー・ジャハル、この名前を好意的に聞くムスリムは皆無であろう。本名はアムル・イブン・ヒシャーム。この男はみ使い様がアッラーの啓示を受け、預言者としてイスラームへの布教を開始した時から、多神教徒の頭目として、最も危険なみ使い様の敵であり、最も残虐なムスリムの迫害者であった。
イクリマはこの男の息子である。み使い様が公然とイスラームの布教を開始した頃、イクリマは20代の後半、マッカの裕福な名家に生まれ、武勇の誉れ高い貴公子であった。当時のアラブでは父親の権威は絶対である。イクリマにとって、イスラームの教えの是非などどうでもよいことであった。父親がみ使い様を憎悪し、ムスリムを根絶やしにしようとしている。イクリマがイスラームに敵対する理由はそれだけで十分であった。イクリマは父親の画策する陰謀や迫害に進んで加担した。全ては父親を喜ばせるためであった。
ヒジュラ暦2年ラマダン月、シリアを出発したアブー・スフィヤーンの率いる隊商がマッカに向かっていることを知ったイスラーム軍は、水場のあるバドルに布陣してこれを待ち受けた。一方、イスラーム軍の動きを察知したアブー・スフィヤーンは、マッカに救援を求める使者を送ると同時に進路を変え、バドルを迂回して海岸沿いの道を進んだ。商品を満載した隊商がムスリムの手に落ちれば、マッカの多神教徒は大打撃を受けることになる。マッカの軍勢は直ちにマディーナに向け進軍を開始したが、ジュフファまで進んだところでアブー・スフィヤーンから、「隊商はイスラーム軍を回避したので、救援の必要はなくなった」との報を受けた。
マッカに兵を引くか、この機会に兵を進めてイスラーム軍と戦うかでマッカ軍の指導者たちの意見は分かれた。ズフラ族の軍勢約300名は隊商の安全が確保された以上、進軍する理由はないとしてマッカに引き返したが、アブー・ジャハルはムハンマドを打ち負かすまではマッカに引き返さないと強硬に主張して、バドルへの進軍を続けたのである。ズフラ族が戦線を離脱したとは言え、マッカの軍勢は約1,000名、イスラーム軍の300名とは圧倒的な戦力差があった。アブー・ジャハルにしてみれば、わずか2年前にマッカを着の身着のままで追い出されたムスリム達に敗北を喫するとは思ってもみなかったであろう。アブー・ジャハルはラート神とウッザー神に勝利を祈願して出陣した。しかし、偶像が勝利を授けてくれるはずもない。息子であるイクリマの目前でムスリムの槍に貫かれ、アブー・ジャハルはバドルの地にたおれた。イクリマは父の死体をバドルに残したままマッカに逃げ帰らざるをえなかったのである。
アブー・ジャハルの死後、イクリマの立場はそれまでとは違うものになった。父親の歓心を得ること、それがみ使い様に対する敵意の源泉であったが、今や父親の復讐を果たすことがイスラームと戦う動機となったのである。ウフドの戦いやハンダク(塹壕)の戦いでもイクリマは、多神教徒軍の先陣に立って戦った。しかし、多神教徒としてのイクリマについて、記述することが本稿の目的ではない。彼の運命を変えたマッカ開城の日に話を移そうと思う。
アッラーのみ使い様が1万の軍勢を率いて、メッカに向かったのはヒジュラ暦8年のラマダン月である。既にアラブの諸部族の多くがイスラームを受け入れ、クライシュ族はマッカに孤立していた。もはや抵抗は無意味である。彼らは無血開城を決めた。これを知ったみ使い様は各部隊の指揮官に敵対する者以外には攻撃しないように厳命していた。しかし、イクリマと数人の仲間はクライシュ族の合意を破って、無謀にもムウタの戦いでの活躍によって、み使い様から「アッラーの剣」と称えられた名将ハーリド・イブン・ワリードの軍に戦いを挑んだ。結果については言うまでもない。イクリマとその仲間は、たちまちのうちに蹴散らされ、敗残兵となってイエメンに向かって落ち延びて行くのであった。
メッカに凱旋したアッラーのみ使い様はカーバ聖殿の前でクライシュ族に呼びかけた。
クライシュ族の人々よ、アッラーはあなた達から無明時代の家柄自慢や先祖崇拝を奪い去った。人はアーダムから生まれ、アーダムは土塊から創造されたのである。『人々よ、我は一人の男と一人の女からあなた達を創り、お互いに良く理解し合うようあなた達を民族や部族に分けたのである。アッラーの御許で最も高貴な者とは、最も敬虔な者なのである』(49章13節)
クライシュ族の人々よ、私があなた達をどのように扱うと思うか?
人々が「寛大な措置でございましょう」と言うと預言者は答えた。
では、ユースフが兄弟に言ったようにあなた達に言おう。『今日、あなた達を非難することはしない』(12章92節)と。行きなさい。あなた達は解放されたのである。
しかし、全ての人が無条件に許されたわけではなかった。み使い様は9人の名を挙げ、たとえこの者たちがカーバ聖殿のカーテンの下にいたとしても殺害するようにと命じた。聖なる場所であるカーバ聖殿に逃げ込んだとしても殺せというのは慈悲深いアッラーのみ使い様にふさわしくないと思われるほど厳しい命令であったが、これらの者にはそれだけの報いを受ける理由があった。例えば、マキースという男はマディーナで殺人を犯して逃亡し、棄教してマッカの多神教徒の軍に加っていたのである。そして最後までみ使い様に抵抗し、到底勝ち目のない戦いを挑むほど頑迷であったイクリマもこの9名のうちの一人であった。
だが、この命令にしてもイスラームの寛容さを少しも損なうものではない。第2次世界大戦後にドイツや日本の戦争指導者や軍人が処刑されたように、戦争に敗れた国の指導者が処刑されるのは、現在でも当然のことである。サッダーム・フセインの息子、ウダイとクサイは裁判を受けることもなく殺されている。ましてや1400年前の常識に従えば、クライシュ族の兵士たちは皆殺しにされてもおかしくはなかったのである。また、長年にわたりクライシュ族に迫害されていたムスリムたちの中には、すくなくともあのアブー・ジャハルの息子、イクリマだけは許せないという感情があったのではないだろうか。み使い様の「あなた達は解放されたのである」という言葉を聞いた時の気持ちをウマルは次のように語っている。
アッラーのみ使い様の言葉を聞いた時、恥ずかしさで汗が噴き出しました。マッカに入った時、私は多神教徒たちに「とうとうお前達に復讐する時が来た。覚悟はいいか!」と言っていたのです。それで、み使い様の言葉を聞いたときに、自分の言葉を恥ずかしく思ったのです。
直情径行のウマルは気持ちを切り替えるのも早い。み使い様の言葉を聞いて、すぐ自分の過ちを悟ったのである。しかし、一般のムスリムにとってイクリマに対する恨みが簡単に消えるはずもない。み使い様は彼らの感情に配慮して、あえて厳しい命令を下したのではないだろうか。いずれにせよ、み使い様の真意はやがて明らかになる。
程無くしてクライシュ族の女性10数名がみ使い様の許を訪れ、イスラームを受け入れることを表明し、み使い様への忠誠を誓った。この女性たちの中にハーリスの娘、ウンム・ハキームがいた。イクリマの妻である。彼女がみ使い様の前に立って、「イクリマは殺されることを恐れ、イエメンに逃げました。どうか私の夫を助けて下さい」と訴えると、み使い様は「彼の身は安全である」とお答えになった。
この答えを聞くと、ウンム・ハキームはすぐに夫を追ってイエメンに向かった。一方、イクリマは紅海の海岸でイエメンに向かう船を捜していた。一人の船頭に乗船させてくれるように頼むと、ムスリムである船頭は言った。
「身を清めれば船に乗せてやろう」
「身を清めるとはどういうことだ」
「あなたが、アッラー以外に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である、と言えばいいんですよ」
「たわけたことを。私はその言葉から逃げてきたのだ」
ウンム・ハキームが夫に追いついたのは、入信しなければ船に乗せないと言い張る船頭に足止めされているところであった。彼女は逃亡に疲れた様子の夫に吉報を伝えた。
「最も善いお方、最も尊いお方、最も敬虔なお方、アブドッラーの息子ムハンマド様の許から私はやって参りました。私はあなたの身の安全を保証してくれるようムハンマド様にお願いしました。そして、ムハンマド様はあなたの安全を約束してくれました。だから、自分で身を滅ぼすようなことはしないで下さい」
イクリマには妻の言葉が良く理解できなかった。ムハンマドがこの自分を許すなどということがあるのだろうか。カーバ聖殿のカーテンの下にいても殺せと命じたというではないか。それに、お尋ね者である自分の妻がムハンマドの前に立って夫の命乞いをするなどということができるのだろうか。妻の姿を見た時には、ムスリムの復讐を恐れ、自分の後を追ってマッカから逃げ出してきたのだと思ったくらいなのに。
「お前がムハンマドに話したのか」イクリマは尋ねた。
「はい、私がお願いしたのです。み使い様はあなたの安全を保証してくれました。だから私と一緒にマッカに戻りましょう」
マッカ周辺の部族は既にイスラームを受け入れている。もう逃れる場所はない。船頭の言葉からもこの事実を悟ったイクリマはマッカに戻ることを決心した。
メッカへの帰路、ある宿泊地でイクリマは妻を求めた。ウンム・ハキームは従順な妻である。夫に従って戦場に赴き、多神教徒の軍勢を鼓舞し、戦列を離れようとする兵士を叱咤した。大胆にも夫のために命乞いをし、道中の危険を冒し夫を追って来た。「拒まれるはずがない」イクリマはそう思ったであろう。しかし、彼女は「私はムスリマです。そしてあなたは多神教徒です」と言って、夫の求めを拒否したのである。「私とお前の仲を引き裂くとは、(イスラームは)さぞかし重要なことなのであろう」そう言って、イクリマは自分の寝床に戻っていった。
マッカに戻ったイクリマはすぐにみ使い様を訪ねた。み使い様はイクリマがマッカに戻る前から「イクリマが信仰深い移住者となって私たちのところにやって来るだろう。だから、彼の父を罵ってはならない。死者への悪口は生きているものを害するだけで、死者には届かないのである」とサハーバたちに言っていたが、まだイクリマはこのことを知らなかった。先に口を開いたのはイクリマである。
「ムハンマドよ、ウンム・ハキームはあなたが私の身の安全を保証したと言っている」
「その通りです。あなたは安全です」
「私に何を求めるのだ?」
「アッラー以外に神はなし、ムハンマドはアッラーの下僕であり、使徒であると証言してください」
続いて、み使い様は行うべきこととして礼拝やザカートなどイスラームの基本的な教えを列挙した。
イクリマはみ使い様がイスラームの布教を公然と開始してからこの時までの約18年間、み使い様の訴えを事ある毎に耳にしていたはずである。だが、実際にはイスラームの教えが彼の心に届いたのはこれが初めてであった。父親への盲従が、そして、父親の死後は復讐心がイクリマの心を塞ぎ、真理から遠ざけてきたのである。彼はアッラーが人間に与えてくれた最大の恩恵の一つである理性を以って、イスラームの教えを考察し、自分自身で正邪の判断を下す努力を放棄していたのである。自分自身で考えずに、何かの権威
- それは父親や夫であるかもしれないし、国家や世間かもしれない - に盲従することほど危険なことはない。預言者様はおっしゃっている。
あなた達は、人が善を為せば善を為し、悪を為せば悪を為すような付和雷同の徒であってはならない。意志を強く持ち、人が善を為せば善を為し、他の人々が悪を行っても、あなた達は不義を行ってはならない。
いずれにせよ、敵意が消え去ったイクリマの心にイスラームの教えが初めて届いたのである。イクリマは言った。
「アッラーに誓って、アッラーのみ使いよ、あなたが訴えていることは全て真実ではありませんか。あなたがお命じになっていることは、全て善いことではありませんか」
イクリマはみ使い様がどんな人であったか、今になってはっきりと思い出していた。
「アッラーのみ使い様、あなたが布教を始める前から、あなたは私たちの中で最も正直で、誠実なお方でありました。」
そして、彼は手を伸ばして、み使い様の前で証言した。
「私はアッラー以外に神はないと証言する。私はあなたがアッラーの下僕であり使徒であると証言する。み使い様、私が言うべき最上の言葉を教えてください」
アッラーのみ使い様は、2つの証言を繰り返し、イクリマもこれを復唱した。更にイクリマが言うべき言葉について尋ねると、み使い様は「アッラーよ、この場にいる人々よ、私がムスリムであり、アッラーの為に戦う者であり、移住者であることの証人になってください、と言いなさい」と答えた。イクリマがこの言葉を言い終わると、み使い様が口を開いた。
「今日は、私が他の誰にでもしてあげられるようなことを頼むな。お前が私に頼まなければならないことは他にあるだろう」
み使い様の言葉はイクリマの胸に重く響いた。自分だけが特にお願いしなければならないこと。み使い様に敵対し続けた自分の過去を振り返れば、答えは明らかであった。
「アッラーのみ使い様!私はあなたの頑迷な敵でありました。私があなたに対して行った全ての敵対行為を許して下さるようアッラーにお祈りしてください。私があなたに対して行ったこと、あなたの前で、或いは、あなたのいない所で私が言ったこと、私が犯した全ての罪を」
み使い様は静かに祈り始めた。
「アッラーよ、イクリマが私に対して行った全ての敵対行為をお許し下さい。あなたの導きの光を消し去ろうとして画策した全ての行いを。アッラーよ、私の前で、或いは、私のいない所で、私の名誉を傷付けたこの男の罪をお許し下さい」
後悔の涙にぬれたイクリマの顔に希望と喜びの光が広がった。
「アッラーのみ使い様、アッラーに誓って、かつて私がアッラーの道を塞ぐために費やした金の倍の金をアッラーの道のために使います。かつて私がアッラーの道を塞ぐために戦った倍の努力で、アッラーの道のために戦います」
その日からイクリマの新しい人生が始まった。部族の因習に囚われ、迷妄の中で欲望の趣くままに過ごした日々は、善行を重ね、人々に奉仕し知識を求める日々に変わった。心を満たしていた憎悪と絶望は、深い同胞愛と希望に変わった。み使い様の前で誓ったように、イスラームのために戦場に出て勇敢に戦い、モスクでは求道者として熱心にアッラーに祈った。しかし、かつて自分が行った非道な行いを思うと後悔の念が彼を責めるのであった。イクリマはクルアーンを顔の前に捧げ、「我が主の書、我が主のみ言葉」と言いながら、自分の罪深さにアッラーを畏れて泣いていたと伝承は伝えている。
ヒジュラ暦15年(西暦636年)、イスラーム勢力の伸張を恐れたビザンチン帝国の皇帝ヘラクリオスはシリアに12万の大軍を送った。これに対してハーリド・イブン・ワリードの率いるムスリム軍はわずか2万4千。6月頃からヤルムーク(ヨルダン川の支流)河畔で対峙していた両軍の間で本格的な戦闘が始まったのは8月15日のことである。この戦場にイクリマはいた。み使い様の死後に起こったリッダ(離反)の戦いや、イエメンの戦いに参加したイクリマは、既に最も勇敢な戦士の一人として知られていた。
ビザンチンの大軍はムスリム軍を圧倒し、イクリマのいた戦線も総崩れになるかと思われた時である。イクリマは馬を降りると、剣を抜き鞘(さや)を投げ捨てた。ビザンチン軍に突入するつもりである。これを見たハーリドはイクリマに向かって叫んだ。
「やめろ、イクリマ!お前を失えば我が軍は大打撃だ」
イクリマは生まれ変わったあの日に、み使い様の前で誓った言葉を思い出していた。
「止めるな、ハーリド。お前にはアッラーのみ使い様と共に戦った日々があるではないか。だが、私と父はみ使い様の最大の敵だったのだ。今こそ、その償いをさせてくれ。私はかつて様々な戦場でみ使い様と戦ってきた。今日、ここでビザンチン軍から逃げ出せというのか。断じてそんなことはできない!」
イクリマは、バドルで、ウフドで、そして、他の者が戦いを止めたマッカ開城の日でさえみ使い様に戦いを挑んだ。み使い様はその自分を許してくれるようアッラーに祈ってくれた。それだけではない。サハーバたちに自分の前で父アブー・ジャハルの悪口を言うことを禁じるほど気遣ってくれた。そのみ使い様との約束を反故にして、他の者たちより先に逃げ出すことができるだろうか。
「死を厭わない者は誰か?」
イクリマが叫び声を上げると、伯父であり義父でもあるハーリス・イブン・ヒシャームとディラール・イブン・アズワルが進み出た。彼らが先陣を切ってビザンチン軍に突入すると、ムスリムの軍勢が彼らに続いた。
結局、ヤルムークの戦いは、要所を押さえ、ビザンチン軍を3つに分断したムスリム軍の勝利に終った。シリアはイスラームの版図となったのである。
イクリマの最期について、伝承は次のように伝えている。
ビザンチン軍が退却した後の戦場には、瀕死の重傷を負った3人の男が倒れていた。ハーリス・イブン・ヒシャーム、アイヤーシュ・イブン・アブー・ラビ―ア、そしてイクリマ・イブン・アブー・ジャハルである。8月の灼熱の太陽の下、重傷を負って焼付くような喉の渇きを覚えたハーリスは水を求めてうめき声を上げていた。水を持ったサハーバの一人がハーリスに駆け寄った。水を飲もうとして、体を起こしたハーリスの目に、死の淵にあるイクリマの姿が映った。「先にイクリマに飲ませろ」ハーリスには何のためらいもなかった。サハーバがイクリマに駆け寄って水を飲ませようとすると、渇きにひび割れたイクリマの唇から「アイヤーシュを先に」とかすれた声が漏れた。だが、サハーバがアイヤーシュに近づいてみると彼の魂は既に天に召されていたのである。サハーバは直ぐにイクリマとハーリスの所に戻った。しかし、彼は2人に水を飲ませることはできなかった。2人ともアイヤーシュと同じくアッラーの御許に召されていたのである。

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