2006年11月号 


『ツバル』 TUVALU


10月にラマダーンとイード・ル・フィトルが無事終わりました。皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。次なるイスラームの大きな行事は、巡礼と犠牲祭です。犠牲祭は、今年はなんと12月30日から1月3日という、大晦日〜お正月にかかる日付になりそうです。


犠牲に関して・犠牲祭に関しては、他の方がこの号でもっときちんと述べられているかもしれませんので詳しくは書きませんが、犠牲は巡礼のあれこれある儀式のうちの最後に行われるものです。そこでのメインは巡礼であり(もちろん犠牲にも深い意味があり、とても重要ではありますが)、巡礼月(ズー・ル・ヒッジャ)の決められた日に巡礼を行う事により、ムスリムの五行のうちの一つが果たされることになります。


その巡礼に行ってきた方の話を聞くと、世界中から様々な人が集まってきており、「同じ」ムスリム同士とはいえ考えられないような出来事がたくさん起こったそうです。


人々は、たとえ同じ土俵の上に乗っていたとしても(逆に、同じ土俵の上だからこそ?)、なかなか分かり合うのが難しいものなのですね。どうしたらこの状況は打破出来るのでしょうか。
 今回は、どうしたら言葉の違う世界にも自分の言いたい事・やりたい事がうまく伝わるのか考え、ローテクな手法でそれを実現してみたというお話です。


どこかの時代の、とある国。荒れた土地の一角にある室内プールで、アントンは管理人である父の手伝いをしていた。プールにはほとんど人が来ないのだが、盲目である父は施設の心臓部である巨大ボイラーの手入れを決して怠らず、今でもプールが人々に愛されていると信じている。プール施設の外に一度も出たことのないアントンの夢は、船長になって航海の旅に出ること。ある日、常連客の元船長に連れられてやって来た娘のエヴァを見たアントンは、彼女に一目惚れする。エヴァもアントンに惹かれるが、それよりもボイラーの部品を手に入れて父の船の修繕をし、南の島・ツバルへ船出することを夢見ている。
そんな中、町の再開発に関わっているアントンの兄グレーゴルは、厄介者のプール施設を町から撤去したくて仕方がない。彼はあの手この手で、プールを閉鎖に追い込もうとするのだが…。


短編映画専門の監督が初めて撮った長編映画で、(ほぼ)モノクロ・(ほぼ)サイレントの映画です。セリフはほとんどありません。ほとんどがジェスチャーで話が進んでいきます。これは何故かというと、監督がチャップリンが好きだということもあるようなのですが、一番の理由は「言葉がわからない人が見ても、わかる映画にしたい」から、だそうです。ドイツ語にはドイツ語のニュアンスがあり、翻訳によって何かが失われてしまうかもしれません。そもそも、ドイツ語がわからない人達にとっては、翻訳されなければドイツ語の映画は意味を成さないものになってしまいます。ですが、言葉を介さないで伝えられるものは、言葉以外の方法で理解されるため、言葉のわからない人にも伝える事が出来るのではないでしょうか。


もちろん、例外もありますし、理解に必要な文化のバックグラウンドもあります。また、果たしてどのくらいの国でこの映画が公開されたのか等を考えると、一概には「そうそう」とうなづけないのですが、この監督の意向には一理あるように思います。


話自体は不思議な話で、面白いのか面白くないのか、映像の作りがアートなのか適当なのか、様々に悩むところもあります。ですが、言葉はなんのためにあるのか、人と意思疎通を図るには何が必要なのかなど、様々なことを考えさせてくれるとても興味深い映画でした。


冒頭にあげたハッジに行かれた方は、マッカでは様々な出来事があり、信じられないような事もたくさんあったけれど、そこから得るものもとても大きく、行って本当に素晴らしかったと言っていました。


言葉だけによって物事や人の気持ちが伝わるものならば、アラビア語は本当に難しいので、このように様々な世界から様々な人々が巡礼に一つの場所にやってくる、というような状況は無かったかもしれません。一体何が、このような状況を作り出したのでしょうか。


今年ハッジに行かれる人も、行かれない人も、犠牲祭の意味に想いをはせ、更には自分の言葉が全く通じない世界中の場所でも同じ事が行われているという事を想い、その時間を大事にお過ごしください。

『ツバル』 1999年 ドイツ 92分
監督: ファイト・ヘルマー
出演:ドニ・ラヴァン(アントン)/チュルパン・ハマートヴァ(エヴァ) 他

 

 


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