2007年8月号 


罪と浄化

 

罪が、人の本質における変形であるとすれば、悔悟や自責の念は、新たに本質へと回帰することなのです。


心にさびを残す罪は、組織につきまとうウイルスのようです。遅かれ早かれ、その存在を感じさせるようになります。


死を考えないことは、心がさび付いていることから起こります。死への恐れは正しい知識の不足からもたらされます。


悪意の解釈は、知性の病み、もしくは心の穢(けが)れです。それから救われるための手段は、人が自らの罪に気づくことです。


うっかりしていて落ち込んでしまった穴からは、その無頓着さの補償をすることによってのみ、抜け出すことができるのです。


あなたの家が水晶でできているのなら、他人のちっぽけな家であっても、石を投げてはいけません。


他者の恥を追うのに忙しい人は、生涯をとおして恥ずべきことを行なっているのです。


「馬から落ちたことのない勇者も、つまずいたことのない馬もいない。」と言われます。大切なのは、落ちた後で起き上がって復活できるかどうかなのです。


明日やろうという考えは、意志の弱さを示しているのです。


最も大きな罪は、性欲という林の中で伸び、成長します。性欲を支配することが、最も大きな支配なのです。


罪を気に留めないことは、何よりも大きな罪です。


木は、枯れてしまっていなければ、春を感じることができます。


アッラーが罰を下されていないからといって,つけ上がってはいけません。猶予期間が与えられたのだと考え、怖れなさい。


本当の信者とは、常にアッラーと結びついている人のことです。罪はこの結びつきを絶つ、有害な閃光なのです。


 


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