|
2006年8月号
ラマダーンの導き
ムスリムになる前のこと。ある年、思いつきでラマダーン月の断食をしてみることにしました。
思いつきですからかなり適当です。気が向くときだけ日中は飲食を絶ってみました。トータルで一ヶ月の半分ぐらいは断食したでしょうか。週末はムスリムの友人宅で、日没後に断食を解いていただく食事「イフタール」におよばれしたりして楽しい雰囲気を味わわせてもらいました。アラビア語を少しかじっていたせいもあってクルアーンを読んでみたくなりました。アラビア語の「音」が好きなのです。最後の方の短いスーラ(章)を集中して練習しいくつか暗記しました。モスクに行ってムスリムの友人の隣でタラウィーフの礼拝に参加させてもらったりもしました。装いも言葉も顔つきも様々な、世界中からのムスリムたちが毎晩大勢やってきて一緒に礼拝を捧げる様子にワクワクさせられました。
そんな、思いつきで楽しく過ごしたラマダーンも最後の方になると、言葉では言い表せないなんとも神聖な雰囲気が心に宿るようになっていました。あらゆる雑音を避けてその神聖さに浸りたい、というような気分です。
そして迎えたイード・ル・フィトル。ラマダーンの総仕上げといった趣でこれも友人に同行して早朝の礼拝に参加させてもらうことにしました。すると、モスクの中に座って何とはなしに説教を聞いているうちに、なぜか涙が溢れて止まらなくなったのです。何事かと自分自身に驚くほどで、なぜだろう、なぜだろうと自問し続けました。その時、心の奥深く、何かを欲しているような声が微かに聞こえてくるような気がしましたが自信が持てませんでした。「私はムスリムになりたいのだろうか。」
それまで何年間か、イスラームの価値観に共感し、人生を支える柱として拠り所にしようという気持ちも持ちつつ、それでも日本でムスリムとして生きることにためらいを感じて入信までは必要ないと思い続けていた私に、突然聞こえてきたこのか細い声。戸惑わずにはいられませんでした。しかし、教えを頭で理解するだけではなく礼拝や断食などの実践も行ってこそイスラームの理解が進み、新しい世界が開けてくるのではないかという確信も同時に浮かび上がってきたのです。決心し、モスクのイマームやその場にいたムスリムたちに立ち会ってもらい、信仰告白を行いました。そしてムスリムとなりました。
イスラームと出会って約10年、ムスリムとなってからも6年以上が経ちます。入信前は自分自身が当事者でない気楽さから「イスラームって面白い、楽しい」と感じることが多かったのが、いつの間にか「困難」と感じることが増えてきました。それは己の自我との戦いであったり、年月ばかりが過ぎて自分自身の中身が伴わないことに対する苛立ちであったり、色々です。しかしあの入信直前のラマダーンは、何気ない思いつき、楽しい雰囲気、そして決断の時とあらゆるチャンスを授けてくださったアッラーの慈悲と導きを思い返させ、アッラーに立ち戻る必要性を思い起こさせてくれるものなのです。それゆえ、毎年ラマダーン月が始まる前には期待が高まります。今年こそアッラーの慈悲をたくさん感じられるラマダーンとなりますように!

Copyright (C) 2006 やすらぎweb.com.
All Rights Reserved. |