2005年11月号 


読者からのメッセージ
 


私が、何年も前に読んで、非常に感動した一節がある。定められた礼拝の時について書かれた文章である。


「アスル、午後。これは秋のようであり、老年期のようであり、至福の時代として知られている最後の預言者の時代のようである。そして、それらの中に存在する、慈悲深い神の行為を思い出させる。マグレブ、日没の時。秋の終わりにおける多くの創造物の消失、人の死、復活の始まりにおけるこの世の破壊を思い起こさせることによって、心に、神の栄光と、神への屈服を思い起こさせ、そして人は不注意なまどろみから目覚める。」


この前後にはそれぞれ、その前後の礼拝に関する記述がある。「ファジュル、早朝。日が昇るまでのこの時間は、春の始まり、母の胎内での受胎の瞬間、天と地の創造の最初の六日間に似ていて、それらを心に思い起こさせる。それは、それらの中に存在している神の偉業を呼び起こす。ズフル、正午を過ぎた時。これは、真夏、若さのすばらしさに似ていて、それらを示している。この世の歴史においては、人間の創造の時期であるといえる。そして、それらが含んでいる慈悲と恵みの顕現を心に訴える。」


「イシャー、たそがれの時。黒い覆いによって昼の世界の全てを覆い隠す闇の世界を思い起こさせることによって、そして冬が、その白い礼服によって、地上の死者たちを隠し、死んでいったものの残した業績までも、忘却のベールに覆われることを思い起こさせることによって、そして、試練のステージであるこの世界が沈黙のうちに閉じられていくことを思い起こさせることによって、力強く、輝かしく、全てを支配する存在を宣言する。そして再び朝。これは、復活の朝を思い起こさせる。夜の後の朝が、妥当で、必要な、そして確かなものであるなら、この世とあの世の間の世界に続く復活の朝と春は、それと同様の存在なのだ。」


この文をはじめて読んだ頃、私はイスタンブールで初めてあの秋を迎えていた。当時、何気なく行ってみた「イスタンブール考古学博物館」に惹かれ、何度か通った。ヒッタイトの戦車の浮き彫り、粘土板から始まり、ローマの石棺、ミイラなど、この土地の歴史を感じさせるものが数多くあり、近くにあったトプカプ宮殿のような華やかさはないかわりに、人をひきつける重みがあったと思う。友人と行くこともあったが、たいていは一人で通った。


考古学博物館で有名なものは、アレクサンダーの石棺や、「嘆き悲しむ女たち」のレリーフの入った石棺だった。それらには圧倒されるものがあったが、当時の私は博物館2階の、小さな大理石の浮き彫りの一つに惹かれていた。数人の幼児が並んで立っている姿が彫られていて、ローマ時代のものだということだった。繊細な浮き彫りで、子供たちは皆、穏やかな表情だった。しかし笑っているのではなく、何かを見つめているような、悲しい出来事を静かに受け入れているような、どこかひたむきさや悲しさを感じさせる表情だった。この浮き彫りの子供たちにはモデルはいるのだろうか、どういう場面が描かれているのだろうか、そもそもこの浮き彫りはどういう意図で作られたのだろうか、と興味も尽きず、博物館に行くたびにこの浮き彫りを見に行った。割と人の多い1階と比べ、2階はほとんど人の姿もなく、静まりかえっていて、子供たちもいつ行っても静かに並んで立っていた。


博物館の外は一面の黄色い落ち葉で、空気が乾燥しているため、日本の落ち葉のように下のほうから湿ってぐちょぐちょになるということもなく、ぱりっと乾燥したまま何層にも重なって積もっていた。そういう時に、前述の一節がよく頭に浮かんだ。「アスル、午後。これは秋のようであり、老年期のようであり、至福の時代として知られている最後の預言者の時代のようである。

 

そして、それらの中に存在する、慈悲深い神の行為を思い出させる。」当時の私は、まだ20代に入ったばかりだったが、ある意味では私の人生は秋を迎えたといえるかな、と思っていた。夏が、「この世の歴史においては、人間の創造の時期であるといえる」と表現されていることを考えるなら、入信以前の人生が夏であり、預言者と創造主を知ることができて以来が秋ということもできる。秋は恵みの季節であり、「祭りのあと」を感じさせる落ち着きと静けさの季節でもある。

 

そしてあの大理石の子供たちもまた、秋と、秋の終わりを思い起こさせた。繊細に施された浮き彫りは、それが経てきた数千年という時間を通し、この浮き彫りの周囲、あるいは浮き彫りが埋まっていた上の土地での様々な栄枯盛衰、「おごれる者久しからず」というような事実、人間のはかなさと共に、人類がずっと抱いてきたであろう創造主への思慕、神への模索を思い起こさせた。


あの頃から10年近くが過ぎ、私は母にもなり、また祖父や祖母を失った。祖父母の死に思うことは尽きないが、子供たちとの生活から教わることも限りない。そして今でも秋には時々、あの大理石の子供たちと、一面が落ち葉のじゅうたんに覆われた、考古学博物館の前の道を思い出す。

 


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