|
2005年9月号
ニッポンの夏
毎日、本当に暑いけど、すずしく過ごしていますか?それとも熱くすごしていますか?
私は“ニッポンの夏”(蚊取り線香の宣伝の古いフレーズです)が大の苦手。私が子供の頃はこんなに暑くなかったんですよ~。すっかり気候がくるってしまった、日本の四季に幻滅ぎみ。温暖化の影響を文字通り肌で感じ、目で見てかんじます。だれが自然のリズムを回復してくれるというのでしょうか。悲観的ですが、手遅れかも。人間が自然の営み(アッラーフが何不足なく与えてくれたもの)に対し謙虚さをとりもどすには自然の力(アッラーフの智恵の力)によって、ある意味で人間の文明が淘汰される結果をむかえることが必要かもしれませんねえ。
アッラーフの智恵(生命のサイクルのしくみ)に人間はかなわない、ということが、痛い経験によってしか多くの人が気づけないことが、アッラーフにも悲しいことかもしれません、自分の子供たちを戒めるようで…。私たちもアッラーフにとってはサイクルの中の特定の特徴を持った最も愛されるべきクリーチャーであるのだ、ということを自覚するにはどうしたらいいのでしょうね。
日本は便利で最新のものがそろっていて、いいとうらやましがられますが、そのかわり何を犠牲にしてしまったか、日本人自身もきづかづにいるとおもいます。私たちは、物質社会をえらんだのです。何とひきかえに?自然とコンタクトを取れるはずの貴重な五感と。そして繊細な心。気づいていても、一旦慣れてしまった便利さ、贅沢さ、甘さをどうしてあきらめられるでしょう?頭ではわかっていても、慣れてしまった体(欲・怠けて鈍った五感)はもっと、もっとと、便利さを、美しさを、富を追求し、毎日ラスベガスのようなさわぎを期待して求めています。身近にあるもの(物、友人、家族も含め)にすぐに飽きて、つまらないから、とまた別の物、人をあさってみる。サターン(悪魔)は他人ではなく、まず自分の中に宿る。人を非難する前に自分のこころを鏡に映して見て見ましょう。姿は服を着た人間ぽいけど、行動、発想は動物のよう。
でも、動物の方がアッラーフのさだめた役割に忠実なのです。彼ら動物はその役目を果たさなければ、即、死を招きます。でも、人間にはより多くの恩恵があたえられ、慈悲(反省のチャンス)を与えられています。なぜ、人は神、唯一なる創造者、を忘れてしまったのでしょうね。もう、すっかりなんでも自分でできるんだ!!といいはる幼い子供のようで…。アッラーフを思えば思うほど、アッラーフにとっての子供らしい素直な子供でいたい、と思ってしまいます。
だって、そのほうがアッラーフに助けをもとめて、いつでもその懐に帰れるでしょう?意地っ張りなお化けガールや頑固ババアになってしまったら、素直に謝って帰れないじゃないですかー。いつもアッラーフとムハンマド様に素直な顔をむけていたいですよね。

Copyright (C) 2005 やすらぎweb.com.
All Rights Reserved. |