2005年8月号 


水の恵み
 


ここ何日か猛烈に暑い日が続き、妊娠中の私は本当に生きたここちがしませんでした。頭はぼーっとして何もする気は起きず、食欲もないし、礼拝も自分に鞭打って済ませました。するとその日の夜から雨が降り、翌朝起きれば外からは涼しい風が吹いてくるではありませんか。アルハムドゥリッラー。何だか嬉しくなりました。雨はもともと好きなほうではありませんが、この日ほど雨を恵みと感じたことはありませんでした。

 

あの頭の重みは取れ、やる気も食欲も出て本当に体も精神もリフレッシュすることが出来ました。雨の降る直前にやすらぎの5月号を読み返していたのですが、そこにちょうどマルヤム様が陣痛の痛みに苦しんでいるとき、アッラーが彼女の足元に小川を創られたというお話しがありました。「新鮮なナツメヤシも、水も、さらには水の音も、出産を容易にし、妊婦にとって安らげて楽な環境を作り出すものなのです。」(やすらぎ5月号、p25)この話を聞くといつも陣痛の時に水は良いのだと思っていたのですが、妊娠中にもいいんですね。誰かが水には体内の電流を体外に放出させる作用があるからリラックスできる、と言っていましたが、科学的にみても水にはたくさんの作用があることに驚かせられます。


話は少しそれますが、私が水を恵みと感じるのは何よりウドゥーをするときに水を使うということです。ハディースには「ムスリムであれ、信者であれ、しもべが日頃気にしているあらゆる罪は、彼の顔から水と共に、もしくは、水の最後の一滴と共に洗い流される。また彼が両手を洗う時、その両手が犯したあらゆる罪は、水と共に、もしくは、水の最後の一滴と共に洗い落とされる。更にまた、彼が両足を洗う時、彼の両足の歩みが犯したあらゆる罪は、水と共に、もしくは、水の最後の一滴と共に洗い流し去られる。

 

その結果として、彼は全く罪汚れのない人となるのである。」(日訳ムスリム一巻、p197)とありますし、ほかのハディースには「清浄であることは信仰の半ばを満たすことです。」(日訳ムスリム一巻、p187)ともあります。信仰というのは私たちには計り知れないものですが、それの半ばを満たす清浄を水が担っていると思うと、本当に水はアッラーからの奇跡であり、恵みであることがわかります。日本は水が豊富で蛇口をひねれば水がでてきますが、これは当たり前のことではなくアッラーの恵みなしには起こらないこと。感謝しなければと思いました。


「あなたがたの主におゆるしを乞いなさい。ほんとうに彼はよくゆるすおかたです。彼は、あなたがたのうえに雨をたっぷりと降らしてくださるでしょう。そして、あなたがたに財産と子供を増やし、あなたがたにいくつもの果樹園をなし、あなたがたにいくつもの川をなしてくださるでしょう」。(第71章10,11節)

 


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