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2004年12月号
足るを知る
最近の100円グッズのお店はとても充実している。「これが100円?!」と嬉しくなるものもある。店の中を見ているだけでもけっこう楽しめる。
この前、数珠コーナーに目に留まるものがあった。何と、タスビーフ(イスラームの数珠)を発見!「こんなものまで100円グッズにあるとは。誰が買うんだろう?どうしてここで売っているのだろう?」とびっくり。ちゃんと玉が99個(33個×3)ついている。(なかには玉の数の足りないものや多いのがあるので買うときはちゃんと数えてから買ったほうがよい)。まさにタスビーフだ。
ルンルン気分になってお店の中をいろいろ見てまわった。そこでまた私にとっては思い出深い物を発見。それは石庭で有名な竜安寺にあるつくばいをかたどった灰皿だった。
そのつくばいには「吾唯足知(われただたるをしる)」と刻まれている。修学旅行でそれを見たときからずっとそのつくばいと刻まれた文字が心に残っていた。
この機会にまた考えてみた。
解説には「足るを知る者は貧しいといえども心は富んでいる、足るを知らぬ者は富めりといえども心は貧しい」とある。欲望を自制し、分をわきまえることの大切さを説いている。
これは禅の格言でもあるが、古今東西の賢人も同じようなことを言っている。老子は「禍は足るを知らざるより大なるは無い(最大の災厄は足るを知らぬ心に起因している)」「足るを知るの足るは恒に足る(足るを知るとはあるがままの現実に常に満足すること)」「足るを知る者は富む」と言っており、アリストテレスは「幸福はみずから足れりとする人のものである」と言っている。預言者ムハンマド(SAW)も「まことの豊かさは物資の潤沢さからのものではなく、心の豊かさからのものである」と言っている。人は不平不満を言いやすい。だからこそそれを戒める言葉も多いのだろう。
以前よく見ていた「心のともしび」という宗教番組の冒頭に流れる「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう」という言葉も思い出される。口で不平を言うより、現状改善のために自ら行動し努力することも必要だ。また、もちろん不正に対してはただ黙って耐え忍ぶだけでなく、正していく努力が大切だ。
私も時には不満を感じ不平を言うこともあるが、アルハムドリッラー、信仰のおかげですぐに自分の心を省み、心の持ちようを軌道修正することができるようになった。
中には常に不平不満ばかり言っている人がいる。足るを知らない人は一つ満たされても次から次へと新たな不平不満が出てくる。人の欲望はきりがない。いつまでたっても満足できず感謝を知らないことは不幸だと思う。
なぜ不平不満が出てくるのだろうか?一つには、それは人と比べるところからくることがある。自分が持っていないものを人が持っているとき人を妬み羨む気持ちが起こり、人と比べて自分の現状に満足できず足りないと感じるところからくるのかもしれない。また、物事が自分の思い通りにならなかったり、自分の気持ちを勝手に人に期待し人がそれに応えられなかったりすると不平不満が出てきたりする。要するに我執にとらわれ自己中心的な状態のときに不平不満が出てくる。
しかしこのように感謝を知らず、足ることも知らず、心が欲望の虜になり不平不満に支配されていけば、結局の所、自分の魂を損ない、心を貧しいものにしていくのである。
日常生活の中で不満を探そうと思えばきりがないだろう。しかし不満を探す毎日より、満足を知って感謝する毎日のほうがずっとストレスもないし、幸せではないだろうか。
「全ては“アッラーの御心のままに”(インシャアッラー)」の気持ちがあれば、もっと気楽に過ごせるかもしれない。
もともと私たちは裸でこの世に生まれてきた。いま自分が手にしているものは全てはアッラーからのものであり、預りものであるという信仰をしっかり持つことが大切なのかもしれない。しかし人間は弱いもので、真の持ち主であるアッラーがそのいくつかをとりあげるとたちまち人間は文句を言う。本当は全てをとりあげられなかったことに先ず感謝するべきなのだろう。
例えば、ある人が寒い冬の日に裸の私に下着と上着とコートを貸してくれたとする。しばらくして持ち主にコートを返して欲しいと言われれば、私は文句など言わずに今まで貸してくれていたことに「ありがとうございました」と御礼を言って持ち主に返すだろう。下着や上着まで返してと言われなかったとしたらそのことに感謝するべきだろう。
全てのものはアッラーからのものであるということを本当に理解しているならば、それを返さなければならない時が来ても、本来アッラーに不満など言うべきではないのである。
人間はそのことをすぐに忘れ、あるいはそれがよいことだとわかっていてもなかなか自分をコントロールできない弱いものだが、信仰を持ち、アッラーに心を向けることによって、自己中心の囚われから開放されることができる。少なくとも正しい心のあり方は何かを知ることによって、それを知らなかったときよりもずっと幸福を感じて生きることができる。
人の魂は悪に傾きやすい。怒り、妬み、不平不満などの悪い感情がわきおこってくるのも我執があるからであり、そのような悪い感情に支配されないようにアッラーにドゥアーをして御助力を頼み、ズィクルをして自分の心(ナフス)を浄化(タズキヤ)させていきたいと思う今日この頃である。
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・本当に、現世の生活を例えれば、天からわれが降らせる水(雨)のようなものである。それで土を潤し、人間や家畜の食べ物を茂らせる。大地が美麗な装いで覆われて飾られると、そこの(住)民は、その全権を持ったと思い込む。だがわが命令が、夜も昼も一度下れば、昨日は繁茂していたはずのものが刈り取られた株のように変り果てる。われはこのように、熟慮する人びとのために(われの)印を解明する。本当にアッラーは、人を平安の家に招き、また御好みになられた者を正しい道に導かれる。(ユーヌス章10/24-25)
・本当に(人間の)魂は悪に傾き易く、主が、慈悲をかけられないならば(悪に陥ったかも知れません)。本当にわたしの主は寛容にして慈悲深くあられます。(ユースフ章12/53)
・だが貪欲な者は、只自分の魂を損うだけである。(ムハンマド章47/38)
・さて人間は主が御試みのため、寛大にされ恵みを授けられると、かれは、「主は、わたしに寛大であられます。」と言う。だがかれを試み、御恵みを減らされる時は、「主はわたしを、軽視なさいます。」と言う。(暁章89/15-16)
・邪悪と信心に就いて、それ(魂)に示唆した御方において(誓う)。本当にそれ(魂)を清める者は成功し、それを汚す者は滅びる。(太陽章91/8-10)
・あなたがたの努力は、本当に多様(な結末)である。それで施しをなし、主を畏れる者、また至善を実証する者には、われは(至福への道を)容易にしよう。だが強欲で、自惚れている者、至善を拒否する者には、われは(苦難への道を)容易にするであろう。かれが滅び去ろうとする時、その富はかれに役立たないであろう。(夜章92/4-11)
・いや、人間は本当に法外で、自分で何も足りないところはないと考えている。本当にあなたの主に(凡てのものは)帰されるのである。(凝血章96/6-8)
・アッラーのみ使いは「アダムの子は成長し老いる。しかし彼は二つ(の欲望)が彼を若くしている。(それは)財貨への欲望と生への執着である」と申された。(「サヒーフ ムスリム」第2巻p.156)
・アッラーのみ使いは「たとえアダムの息子が豊かな二つの渓谷を所有していたとしても、彼は三つ目のそれも望んだであろう。アダムの息子の腹は土で満たされるまで(墓に入るまで)満たされぬ。アッラーは後悔する者をお許しになられる」と申された。(「ムスリム」第2巻p.156)
・アッラーのみ使いは「まことの豊かさは物資の潤沢さからのものではなく、心の豊かさからのものである」と申された。(「ムスリム」第2巻p.157)
・アッラーのみ使いは「イスラームに帰依した者、生活可能限度の糧を与えられている者、そしてアッラーがお与えになったもので満足している者は成功した者である」と申された。(「ムスリム」第2巻p.160)
・アッラーが天国でアダムを形作ったとき、アッラーはみ心のままにそれを放っておいた。そこでイブリース(悪魔の別称)は彼(アダム)の周りを廻りながら彼を詳しく調べた。そして彼の空虚な内側を調べたとき彼が自らをコントロール出来ないように創られていることを知りました。(「ムスリム」第3巻p.550)
・あらゆる困難や疑いや障害にもかかわらず、神に信頼しましょう。神は決してあなたを裏切りません。ある願いをかなえてくださらない時は、神がそのことをお望みではないというしるしです。もし神があなたにそれをしてほしいとお望みなら、神はその手段を与えてくださるでしょう。ですから、何も心配することはないのです。(マザーテレサ)

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