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2004年8月号
ヒジャーブ
この春の出来事だった。娘の同級生の母親(バングラデシュ人のムスリマ)が突如ヒジャーブをするようになった。
1年前はじめて彼女と出会ったとき、彼女は私が日本人ムスリム同士のカップルだと知るとおどろき、私のヒジャーブ姿を見て、「あなたは真面目なムスリマですね。私もいつかヒジャーブしたいと思っていますが、ハッジに行ったらしようと思っています」と言っていた。しかし彼女の心の中で、しだいに変化があったようだ。
同じ学校に子供を通わせているトルコ人ムスリマや私を見ているうちに、日本という非イスラーム圏に住む外国人ムスリマが自分の信仰を守って正しく生きようとする姿、日本人同士のムスリムカップルが日本でイスラームを生きる姿に心を動かされ、自分も正しく生きなければ、と思っていったそうだ。そして、知人の日本人ムスリマがある日突然ヒジャーブを付け始めた様子を見て大いに刺激になったようで、自分もいつかヒジャーブを付けるようになりたいとあこがれを持ったそうだ。そしてその数ヵ月後、彼女の心に変化があった。
彼女の父親が亡くなったのだ。葬儀のため急きょ帰国した。そのとき、何かを感じた。
父の死をきっかけに、生命のこと、そしてそれを授けてくださっているアッラーのことを深く考えるようになったという。そして、幼い頃、自分が受けたイスラーム教育のことを思いだした。7歳の頃からクルアーンの読誦のクラスに通っていたそうだ。
自分もアッラーの道を歩みたい、信仰に生きたいと思うようになった。ヒジャーブを付けたいという気持ちがわきおこってきて、ヒジャーブを付けることを決意したそうだ。
日本に戻ってきて、まわりの日本人のお母さんたちから「どうしてヒジャーブを付けるようになったの?」と聞かれるが、信仰を持っていない人にはこの気持ちは理解してもらえないだろうと思って話さなかった、と彼女は自分の心境の変化を語った。
同席していた(長くイスラーム圏に住んでいた)フィリピン人のクリスチャンの友人から「もうヒジャーブをはずしたらダメよ」と言われると、「絶対にはずさない。私はそう決心したのだから」と笑みをもらした。そして彼女はこうも語った。「ヒジャーブを付けるようになって、アッラーが自分を守ってくれていると感じる」。娘にも信仰に生きる人になってほしいと思っているとも語っていた。そして、アッラーについての思い、彼女が好んでいるクルアーンやハディースの言葉を紹介してくれた。
すでに彼女は帰国してしまい、信仰を分ち合う機会はなくなってしまったが、近くにいる人がこのように心が開かれ、信仰の道に入っていったのを見て、アッラーのなさることはすばらしいな、とアッラーの導きを感じ、とてもうれしく感じた。
それから2週間のち、思いがけず、今度はわが娘の上にヒジャーブについてアッラーの導きがあった。
ハナ(7歳)とアミナ(5歳)がヒジャーブを付けたいと言うようになった。ハナは昨年の春にもヒジャーブをして学校に行きたいと言ったが、そのときは「その気持ちが1年以上続いたらね」と私がストップをかけた。今回GWにヒジャーブをつけて公立学校に通う小学3年生のトルコ人の女の子に出会い、刺激されたようだ。
私としてはうれしい反面、心配もあって、まだ義務でもないし、夏の暑さにこんなに小さいうちから我慢するのは不憫だなという思いもあった。それに単なる憧れからヒジャーブをつけるのではなく、よく考えて納得した上で付けてほしいと思っていて、どうしたものかと考えていた。
「いったんヒジャーブをつけるようになったらおばあちゃんになるまで取らないんだよ」、「夏は暑いけど我慢できるの?」、「男の人の前で手足を出したりできなくなるんだよ。もう半袖とかかわいいスカートはいて外に出れないよ」などとけっこうネガティブなことを言ったりしたが、「わかってる。大丈夫だ」と応える。
「学校の行き帰りに以前ママに“イラク人!ここはジャパンです!”って言った子がいたように、からかったり嫌がらせをする子がいるかもしれないよ」と言うと「ママが無視したようにハナも無視する」と言う。
ついには「どうしてママはヒジャーブをつけてもいいのに、ハナとアミナはつけたらダメなの?」と言われ、返す言葉もなく、とりあえず、週末試してみて大丈夫そうだったら新年度の9月から付けてもいいと言った。結局、次の週からつけたいというので私もついにOKした。
義務になる年頃になっていきなり付け始めるのもきついかもしれないし、後になって「もう義務だから付けたほうがいい」といっても「前にママは付けなくていいって言ったじゃん」と言われてしまうかもしれないし・・・。
せっかくやる気になっている今から毎日は無理でも少しずつヒジャーブに慣れさせていったほうがいいのかなと思うようになった。
子供がつけるとなると、親もそれなりに覚悟が必要になる。
子供がいまからヒジャーブをつけて暑い夏にも耐えて頑張ろうとするなら、私も義務の礼拝だけでなくスンナの礼拝も欠かさずやるようにしよう、できれば深夜の礼拝もしようと、自分にももう少し困難なイバーダを課してみようと思うようになった。
別に子供とはりあって競争しているわけではないけど・・・。“心の浄化”の講義も大いに刺激になった。ジャザーキアッラーフハイラン。
そしてハナとアミナは5月17日からヒジャーブをして学校に行った。
「本当に今日からつけるの?暑くて我慢できなかったらまだ義務じゃないからはずしてもいいよ。少しずつ慣れていけばいいからね」と言って送り出した。
その日は1日中“皆に変な格好だと言われて嫌な目にあってはいないだろうか、暑いのに我慢しているのだろうか”などと心配し、ずっとアッラーに“2人をお守りください”とドゥアーしていた。
ヒジャーブ姿で元気に帰ってきたので一安心。アルハムドリッラー。
学校での様子を聞いたら、案の定皆から「どうしてつけてるの?」と聞かれ、ハナは「ママも付けているでしょ。私も付けたかったの」と応え、アミナは一言「ムスリムだから」と応えたそうだ。
「嫌な目にあわなかった?変な格好とか言われなかった?」と聞くと、「女の子たちはキュート!かわいい!って言ってくれたよ」
「暑いのに我慢していたの?大丈夫?明日もするの?」と聞くと、「うん、するよ」とさらりと言ってのけ、「ママ、何をそんなに心配してるの?ハナとアミナはやりたくて付けてるんだよ。嫌だったらはずすから心配しなくてもいい」と言われ、ハッと気がついた。
“とらわれていたのは自分の方だった”と。
自分のときのことを考えると、かつてはヒジャーブにかなり抵抗感を持っていたし、世間体とか“人がどう思うだろうか”と人の眼や反応をかなり意識していた。日本(非イスラーム圏)において進路や就職のことを考えるとなおさらだと思った。それこそ一大決心をして被り始めたのだが、娘たちはまだ世間体とか人の眼とかは気にしていないようだし、一大決心したかのように構える風でもなく、実に自然体。かえってよけいなことを考えずに、純粋にヒジャーブの良さを感じ、アッラーのことだけを見ることができるのかもしれない。
娘達のヒジャーブ姿の自然な様子にひらめいた。
そうだ、子供の心を学ばないといけない。子供はアッラー以外のものにとらわれていない。
「およそ子供は全てフィトラ(本然の姿)によらないで生まれてくる者はいない。しかし両親が子供をユダヤ教徒にしたり、キリスト教徒にしたり、多神教徒にしてしまうのである」というハディースはそういうことかなと思う。
本来子供は純粋にアッラーを見る心を持っているのに、大人が入れ知恵をしてだんだんアッラー以外のことに気を取られ、横道にそれていくような気がする。
人はいつからよけいなもの(アッラー以外のこと)に心がとらわれていくのだろうか。大人になるにつれて処世術を身に付けていき、世間体や常識にしばられていく。世間の人はそういうことを身に付けることが大切だと言うし、確かに社会の中で、人との付き合い(特にノンムスリムとの)の中でそれらはある程度必要なことかもしれない。しかし、少なくとも信仰においては、今この子供たちのもつ純粋さ(アッラーに向かう心)は大切に守っていかなければと思う。
娘の「何をそんなに心配しているの?」の一言に、“思い煩うな、アッラーに任せよ”と言われているように感じた。まだ私は“人の眼”を気にしてシルク(偶像崇拝=アッラー以外のものにとらわれること)を犯していたんだと思う。アスタグフィルッラー。
“よけいなことにとらわれるな、アッラーのみに心を向けよ”。
今回のことでまた子供からタウヒードを学ばせてもらった。
どうかアッラーが子供たちを守ってくださいますように。
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・預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、かの女らに長衣を纏うよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて済むであろう。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。(部族連合章33/59)
・男の信者たちに言ってやるがいい。「(自分の係累以外の婦人に対しては)かれらの視線を低くし、貞潔を守れ。」それはかれらのために一段と清廉である。アッラーはかれらの行うことを熟知なされる。信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表われるもののほかは、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父のほかは、かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。なお夫の父、自分の息子、夫の息子、また自分の兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子または自分の女たち、自分の右手に持つ奴隷、また性欲を持たない供回りの男、または女の体に意識をもたない幼児(のほかは)。またかの女らの隠れた飾りを知らせるため、その足(で地)を打ってはならない。あなたがた信者よ、皆一緒に悔悟してアッラーに返れ。必ずあなたがたは成功するであろう。(御光章24/30-31)
・アーダムの子孫よ、われは、恥ずかしいところを覆い、また飾るために衣装をあなたがたに授けた。だが篤信という衣装こそ最も優れたものである。(高壁章7/26)
・アッラーのみ使いは「ある者が着用した外衣に得意になり、誇らしげに歩いている間に、アッラーは彼を地中にお沈めになった。それで彼は復活の日まで、ずるずると地中深く沈み続けるのである」と申された。 /(注)イスラームが教えている謙虚さを実践しない者への戒めの言葉である。(「サヒーフ ムスリム」第3巻p.187)
・ある婦人が預言者の所に参りまして「私の夫には複数の妻がございます。それで、夫が私にくれてもいないお金(をくれたと偽って)満ち足りているかのようなふりをすることは罪悪なのでしょうか」と申しました。アッラーのみ使いは「与えられてもいない物で、満ち足りているかのようなふりをする者は、ズール(注)の衣服を着用しているような者である」と申されました。 /(注)ズールは虚偽、模造、見せかけ、ごまかし等の意である。(「サヒーフ ムスリム」第3巻p.213)
・ウンム・ハビーバ(預言者の妻)は伝えている。み使いは「昼と夜に(ナフルの)十二ラカート(注)を行った者には、天上の楽園に家が建てられるであろう」と申されておりました。更に彼女は「私はそれをお聞きしてからは、けっしてそれを怠ってはおりません」と言った。 /(注)この十二ラカートは、スナン・ムワッカダのことである。(「サヒーフ ムスリム」第1巻p.497)
・アブー・フライラは伝えている。私の親友(アッラーのみ使い)は私に三つの事を行うよう勧められた。(それは)毎月三日間の断食、午前中に二ラカートの礼拝の挙行、夜、寝る前にウィトルの礼拝の励行である。(「サヒーフ ムスリム」第1巻p.494)
・およそ子供は全てフィトラ(本然の姿)によらないで生まれてくる者はいない。しかし両親が子供をユダヤ教徒にしたり、キリスト教徒にしたり、多神教徒にしてしまうのである。(「サヒーフ ムスリム」第3巻p.582))

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