2007年8月号 

清潔さを保つ

 

清潔さは信仰の半分だといわれるように、清潔という概念は信仰生活にとってとても重要な位置を占めることがわかります。身体的な清潔さも重要ですが、精神的な清潔さもまた重要です。イスラームには最低でも一日五回の礼拝で心を清潔にする機会があると私は思っています。


「忙しい」と言うのは好きではないので口にだすことを慎んでいますが、私は一日のうちでやらなければならないこと、やっておきたいことがたくさんあります。余裕をもって一日の予定を少なくすればいいのですが、どうしてもできるだけのことをしたいと思って、忙しい環境をつくってしまいます。そんな毎日の中で、礼拝の時間を守ることが課題となってきます。

 

本来、礼拝の時間がきたらすぐに礼拝をするのが当然ですが、私の場合、礼拝の始まる時間よりも常に礼拝の時間が終わる時間に目がいってしまいます。つまり、私の意識としては、「次の礼拝の前に今の礼拝を済ませなければ」という思いが常に頭にあります。とてもふさわしい礼拝ができているとはいえません。何事にも余裕は大切です。余裕がありゆったりしていないと、失敗も多くなるし、他の人に対する接しかたもいいかげんなものになってしまいます。


精神的な清潔さが重要だと述べましたが、その通りです。心が清潔でないと、正しい行いもなかなかできません。日常の生活の中で、不満なことや、イライラすること、欲深い心、嫉妬の心、ずるい心、意地悪な心、怠慢な心などが次々に沸き起こってきます。そんな心は清潔な心ではありません。そんな心に導かれた行動はとても正しい行動とはいえなくなってきます。


毎日の礼拝は心を清潔に保つためにもとても有効なものであると私は理解しています。日々の生活の中で、一度手を止めて礼拝に望み、自分自身を振り返り、感謝の気持ちを思い出し、何よりもゆったりした気持ちでまた次の礼拝まで過ごす。礼拝の効果を実感していながら十分に生かせていない私ですが、そんな自分は愚かだなとつくづく思います。


私はこの礼拝の効果を実感してイスラームに惹かれたといっても言いすぎはありません。誰かに(例えば自分の大切な人)にこの礼拝の効果を伝えたいと思っても、なかなか伝わりません。人に伝えるには常に自分が証人のようであることが必要だというのも納得がいきます。礼拝に関していえば、礼拝により心が清潔になっている状態を感じることで、それが証拠となり相手に伝わるのかなと感じています。


伝えたいという思いの前に自分が証人であることが常に求められ、また重要であって、そうなれば伝えようとしなくても、伝わるものだと感じています。

 

 


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