2006年12月号 

与えられた命の重み

 

最近のニュースでは自殺についてのものが多いことに気がつきます。そして日本にはいじめによって苦しんでいる人がたくさんいるということが改めて分かります。いじめによって死を選択するという心情はいじめられた本人にしか分からないといいますが、私達ムスリムは自殺が禁止されているため、どんなに辛いことがあっても決して死を選択することはできません。そのため常に前向きにものごとを捉えるようになります。


私達にとって死とは、肉体を伴う善行や、日ごろの行ないの悔い改めができなくなるということも意味します。皆がよく知っているように死期というのがいつなのかは分かりませんからその日の為に常に心の準備をしていた方がいいと思います。例えば借りがあればなるべく早く返したほうがいいですし、許す相手がいればその旨を早く伝える必要があります。

 

両親、兄弟、親戚、友達、知り合いなど常に良い状態にいることがとても大切だと思います。そのためにけんかをすれば直ぐに仲直りをすることや、許すことの大切さ、両親などを大切にするというようなことがイスラームでは言われています。またよい行ないは思い立ったら直ぐにすべきだと思います。私は募金をするチャンスや、助けが必要な人を助けるチャンスを逃したことがたくさんあります。そしてそれらのチャンスを逃したことはいつまでも私の心に残っています。


自殺に関するニュースに加えて、少し前には母親による子供への虐待や殺害という信じられないようなニュースが度々放送されていました。ショッキングなニュースであることに驚くのはもちろんですが、私達がそんなニュースを見慣れたものとしていることにもショックを受けます。

 

日本社会ではあまり「生」や「死」について日常で考えるということがないと思います。それははっきりとした答えが分からないのでそれらについて考えることを避けているのだと思います。限られた生命や、必ず訪れる死、そして精子と卵子というとても小さな細胞から胎児、子供、成人、年寄りと変化する様をみれば奇跡的な感動を覚えるはずです。仕事や人間関係を考える前にもっと根本的な一つの生命としての自分自身を考えるべきだと思います。私がもっと若い頃にはどうして生きるのか、どうして死ぬのか、死んだらどうなるのかと考え始めるとすごく恐かったので、考えないようにしていました。

 

でもそれらについて考えることを避けるのをやめた時、つまり正面から向きあうようになって初めて自分が生きていることを実感したような気がします。それまでは何不自由なく楽しく生活をしていましたが、なにか違うという思いが常にありました。生や死を考えながら積極的に受け止めて生きるということで私の人生に対する態度は一変しました。


 

 


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