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2006年8月号
理由を説明する
最近、出身中学校へ行く機会がありました。恩師と10年ぶりに話をしました。働きながら大学院に通っている、結婚した、ということより何より、ムスリムになったことは恩師にとって、相当な変化だったのでしょう、その関連の質問がたくさん出ました。その中の一つに、「どうしてスカーフを着けているのか?」というものがありました。
自分に、その理由を問いかけてみました。もうずいぶんと、そんなことを考えたこと自体が無かったのです。以前の私だったら、例えば、5年前の私だったら、「女性として自分の心身を守り…」云々と、つらつら理由を説明したと思います。ところが、その時は、自分の心に問うてみても問うてみても、そんな答えは浮かんできません。私が言った言葉は、自分にとってみても、至極思いがけないものでした。
「神さまがそう言われているから…」
どうして自分にとって、この理由が意外だったかというと、以前の私は、この説明があまり適切ではないと考えてきたからです。「どうしてスカーフを着けているのか?」という質問は、ほぼ、ムスリムでない人から来るはずです。ムスリムでない人に、というか、イスラームの教えについてあまり知らない人(ムスリムであるからと言ってよく知っているとも限らないですが…)に対して、「アッラーがそう言われているからです。」ときっぱり!言うのは、あまりに不親切ではないかと、そう思っていたのです。もし私が質問した側だったら、そんな答えでは絶対に納得しない、と考えたのです。
しかし、いま、落ち着いて考えてみると、何が不親切で何が不親切でないかは、そうそう分かるものでもないと思えてきました。納得しない人は、多分、「心身を守り」云々でも、納得しない。何に納得しないのかと言うと、その理由そのものではなく、言ってみればその理由を「のんだ」理由の方でしょう。つまり、「信仰」もしくは「信仰心」そのものだと思うのです。
信仰というものは、説明することが難しいものだと私は感じています。だけど、「伝えてよ!」と訊かれているので、伝えるしかない。伝えたい。そのためにはどうすれば良いのか。そこで、「アッラーがそう言われているから…」が出てくるのです。
それは、
「お母さんがダメって言ったから…」
「じゃああんたは、お母さんが死ねって言ったら死ぬんか?!」
という、よくある言い争いにおける、「○○が言ったから」式の意味合いとは全く違います。よくある言い争いにおけるそれは、端的に言えば責任の押し付けです。僕が悪いんじゃない、僕が決めたんだじゃない、僕の意志でやったんじゃない。責任転嫁、責任放棄です。
一方、「神さまがそう言われているから」という時の意図というのは、「つまりは信仰なんです」ということを、何とか伝えようとして、ストレートになった形だと思います。先に述べた意味との対比を強調した形で表現すれば、自分が信じていることであり、自分で考えた結果であり、自分の意志であり、責任というとちょっと語弊があるかも知れませんが、行動の主体は自己である、ということです。ただ、こういう表現はあくまで対比であって、「自分が自分が!」という感覚とはまた全然違うのですが…
「神さまがそう言われているから…」 どうしてもそれしか出てこなかったので、恩師にはそのひとことだけを言いました。意外にも先生は、馬鹿にした様子も、意味が分からないという様子も見せず、逆にどこか、痛いところをつかれたような、新鮮な驚きに見舞われたような表情をされていました。あれからずっと、私も考えています。

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