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2005年11月号
今年のラマダンで考えたこと
今年のラマダンも終わりました。今年も友達を招いたり、招かれたりして、よいラマダンを迎えられました。今年のラマダンは例年と比べて、ゆっくりとした時間をとることが難しかったのですが、それでもこの機会を逃すまいと、自分自身をリフレッシュさせようとしました。
そんな時、友人からメールが届きました。一つのメールでは、私達の目、鼻、耳、口、がその機能を果たしていることに感謝すべきだという内容のものでした。目について言えば、私達の目は毎日何を見るのでしょう?朝目覚めてから、眠るために目をつむるまで実に様々なものを見ます。その目に映るものは神様の創造物そのものです。朝日が昇るのを見て、美しい花や木を見ます。そして様々な虫や動物も見ます。そしてそのすばらしい記憶を残してくれます。これらの創造物を見ると、神様のすばらしさを感じます。規則正しく創られたその創造物は本当にすばらしいものです。また、目が見えるおかげで、危険なものから自分を守ることができますし、大切な人を視覚で感じることができます。目で見たもので、感激し、また目で見たもので、悲しみます。このように目が見えることで実にたくさんのお慈悲を頂いています。
また別の友人からメールが届きました。その内容は、「私達は恥を感じている・・・」というものでした。人間は完璧なものではありませんが、それぞれ努力してよりよい人間になる為に生きています。私達は、感謝することを忘れ、そして恥じることをも忘れているように感じます。嫉妬をすること、寛容でないこと、寛大でないこと、善行をすることにちゅうちょすること、施しを出し惜しみすること・・・どうして私達はほかの人々の痛みが分からないのでしょう?どうして私達は傷ついた人を見て胸を痛めることができないのでしょう?どうして私達はお慈悲を頂いて、感謝することを忘れるのでしょう?どうして私達は自分の犯した悪い行い、恥じるべき行いに対して、胸を痛めることができないのでしょう?心が麻痺しているようです。心はもっと繊細に感じるべきです。毎日の仕事、勉強、社会の営み、暮らしのなかで大切なものを失っているように感じます。
どうか私達の行いが許されますように。そしてイスラームを今に残して私達に伝えた預言者様、そして教友達にたくさんの報酬がありますように。

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