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2004年11月号
『ビッグ・フィッシュ』 Big Fish
自分の体験した話をするとき、聞き手を面白がらせるために少し大げさに話をしてしまう――そういうことをしたことはないですか?誰しもそのような経験はあるかと思いますが、私の母はかなり大げさに話をします。些細な事でも、母の中では大事になっているからそうなるのだろうとも思い、それはそれで心温まることなのですが、母の大変なところはそれを新聞への投書や自分の著書のなかに堂々と書いてしまうところです。
私が言ったささやかなこと、母が直面した小さな出来事、それらをものすごく大きくすごいことのようにしまうのです。例えば、私が小中学生の時給食が大好きだった事を「(給食を食べる事が)幼稚園や小学校に行く楽しみになっていた。娘は中学校卒業式の後“これで給食が食べられなくなるのかと思うと,式の最中とめどなく涙がこぼれた”と言った。給食に携わっていた方々に聞いていただきたい、卒業時の感謝の言葉だった。」(神奈川新聞1997年8月5日自由の声
)と描いています。が、実際私は中学の卒業式のときに泣いてはいません。そしてそもそも母は卒業式には来ませんでした。母の中で色々な出来事(私が給食が好きだった事、高校では弁当になることなど…)が混ざって、一つの母にとって美しく忘れがたい話(といえるのかどうか…)になっていったのでしょう。
そういった様々なことに辟易した事もありましたし、母が体験した事の話をされても大げさに感じ、取り合わないこともありました。映画『ビッグ・フィッシュ』の主人公ウィルも同じでした。彼の父、エドワードは自分の人生のなかのおとぎ話のような体験の数々を語って聞かせては、人々の心をあたたかく、楽しくさせていました。彼の人生は驚くべき事の連続です。巨大な「捕まえられない魚」を捕まえそうになった話、未来を予見する魔女との出会い、街のはずれに住んでいた巨人と旅したこと、恐ろしい森の奥に隠されていた美しく幸せな街のこと、素敵な女性との時がとまるほどの一目惚れ、花畑でのプロポーズ…。これらのエピソードはどれもこれも、本当に「面白い話」「素敵な話」です。ですが、それを父の人生そのものであると語られたら、どうでしょう。
ウィルは「そんな作り話ばかりして!本当の父さんはどういう人なんだ?どうして本当の事を話してくれないんだろう」と思い悩み、父との関係は良くありません。ですが、それらの話はエドワードにとっては「ありのままの自分を語っていること」であり、それが見えないウィルに問題がある、といいます。二人の関係は平行線のままにも思えましたが、エドワードの体調が悪くなり、残された時間が少ないことを知ったウィルは実家に戻り、エドワードと過ごします。ですが、やはり父の話は相変わらず。仲も良くないままでしたが、ある日父の話の全てが創作というわけではなかったことを知ります。ですが、ようやくおとぎ話に隠された真実に手が届きそうだというとき、エドワードは容態が悪化して亡くなってしまいます…。
私が一番好きなのは、実はエドワードが亡くなる時のことをウィルが想起するシーンです。ここで、今までの彼の人生の話に出てきた全ての人が集まってくれ、あたたかく見守ってくれます。しかも、死ぬという時なのにみんなが楽しげに、まるでパーティーに行く人を見送るかのように幸せそうに別れを告げます。彼らは、エドワードの人生と関わり、彼の話を聞いたり参加したりしていたことにより、幸せにもなったし彼の様々な能力を疑うという事はありません。彼らには、死によってエドワードにもたらされる新しい旅路にはまた同様の、色々な素晴らしいストーリーが待っていると知っているのでしょう。人は生きてきたように死ぬ、といわれています。ここでもエドワードは、生きてきたように死んでいくのでしょう。人が自らの死に際し、後に残せるものはなんでしょうか。人によっては子孫であったり、財産であったりするかもしれません。ですがエドワードの場合は何よりも、人々にあたたかな気持ちを起こさせる楽しい想い出話とその裏に含まれる様々な教訓を残したのでした。
さすがにエドワードほどの話が出来てしまう人はほとんどいないでしょう。ですが、私には人が語る様々な話から、そこにこめられた意味をみいだしていない自分というものもあると気づきました。その人がどういう思いで、話を作ってしまっているのか?もちろん、人を楽しませる、自分を良く見せる、というものもあるでしょう。話を私の母に戻すと、母のホラ話(事実の誇張)は、他人に自分の理想を語る手段であるようにも思います。実際、うちの家族はそうそうすばらしいものではありません。ですが、母の手にかかるとすごく素晴らしい「家族像」になってしまうのです。私自身、今のところその幻想に取り込まれたおかげで損をした、というような被害に合ったことがありませんから、母の話を人が聞いて、暖かい気持ちになったり「ああいう子育てがしたい」などと思ってくれたりしたら、それでいいのかもしれません。逆に、私自身も母の思い出話を聞く事で忘れていた事を思い出したり、自分の考えを改めさせられたりすることも度々あります。
誇張された話のうち、どこまでが尾ひれであるかは、わかる人にはわかります。だから、あえて美しい話を壊すよりは、少しくらい大目に見てあげてもいいのかも、と思いました。何についても真実を話す事が本当は一番重要なのだけれど、言いたい事をストレートに言うのではなく、何かに託して言うのも手なのかもしれません。その場合、単なるフィッシュ・ストーリー(作り話)ではなく事実と正しい思惑が含まれていることが必要なのかもしれませんが…。
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『ビッグ・フィッシュ』 2003年 アメリカ 125分
監督:ティム・バートン
原作:ダニエル・ウォレス
出演:ユアン・マクレガー(エドワード)/アルバート・フィニー(老エドワード)/ビリー・クラダップ(ウィル)/ヘレナ・ボナム・カーター(魔女)/スティーブ・ブシェミ(詩人)他

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