2004年10月号 

「自我」について考える

 

今月はラマザーン月でもあり、様々な事を想い心改まる気持ちになるような気がします。ですから、映画の話はお休みして自分自身の内面の問題について考えたいと思いますので少々お付き合いください。


「自我」とは一体何なのでしょうか。そもそもは心理学や哲学の用語(エゴ)であり、良くも悪くも「意識や行動の主体を外界や他人と区別する」意味があったり、「衝動を現実や良心の統制に従わせようとする働きをするもの」というものであったりします。ですが、一般的に使われる場合にはあまりいい意味で使われているわけではないことも多いです。そこでは日本語の「我(が)」と同じような意味をもっているのかもしれません。「我」とは、もちろん「自分自身」という意味を持ちますが、それ以上に「思うところに凝り固まって人の言に従わない」という意味を強く持っています。自分を強く出すということは、何もかも自分の力で出来るという驕りにもつながり、あまり褒められるものではありません。しかし、今は社会で生きていくために自分をどんどんアピールしていかなければならない時代なのかもしれません。どんなに自分がすごい事が出来るか、どんなに知識があるか、どんなに素晴らしいか……

 

そうでもしなければ、やっていけないことも多々あると思います。たとえ仕事が出来ても、自らアピールしなければ認められるのも容易ではありません。仕事の話だけではなく、普段の生活でもついつい自分が人より偉いと思って人を見下したり、自分が人より正しいと思って陰口をたたいてしまったり、自分の意見を人に押し付けてしまったりすることがあります。他人との関係だけではありません。自分の気持ちに嘘をついたり、自分ひとりしかいないからいいだろうと思ったり、物事をいいかげんにやったりしたときに、やっぱり自我がでしゃばってきていると感じます。


この世の中で、自我(ここでは「我」と同じ意味で使います)というものをどう扱って、どう生きていけば善く生きることができるのでしょうか。
 

今年の夏に、「イスラームにおいて、自我を克服するとはどういうことか」というようなテーマのお話をある勉強会で聞きました。それから「自我」について考えることが増え、上記のようなことをつらつらと考えていた時、ある文字に出会いました。それは「○」という字で、読み方(というのでしょうか…)は「円相」といいます。禅語のひとつで、茶道でも掛け軸の書としてよく使われています。この意味について、『茶席の禅語早わかり』(有馬頼底著 主婦の友社刊)という本ではまず「世界を構成している5要素(空・風・火・水・地)を一筆で描くと円になることから、宇宙全体の姿、世界の究極の形を最も簡略に描いたもの」としています。続けて、「“円い豆腐も切りようで四角”という言葉がありますが、人間どうも角ばったらいけません。なぜ角ばるかといえば、それは人間に自我心というものがあるからです。私が、おれが、という“我”が出てくると、どうしても角が立ちます。自分と他人を区別して、自他を対立させてしまいます。

 

しかし、突き詰めて考えればもともと対立などないのです。ないものを無理やりこしらえて、自他を区別して、自分はこうだ、他人はああだといふうに、おのれの我見に固執するから、角が立つのです。そういう角をだんだん取り除いていくと、結局は今までなぜ争っていたのか、どうしてあんなに張り合っていたのか、その無意味さがわかってくるのです。それが、人間が円くなるということなのです」と解説しています。この文は解説者の私見なのかもしれませんが、私はこれを読んで「そうか、自我というのは角と同じで、それが減っていくことによって円に近づいていくのか。それが自我を克服していく事なんだな」、と納得してしまいました。というのも、「自我を克服する」と一口に言っても、いま自分の状態がどういうもので、どういう状態が克服された目標とすべき状態なのか、それを自分で把握するのは大変難しいことです。それを図としてとらえることで、誰にでもわかりやすく、いつまでも探求し続けるべき深遠な意味を持たせることが出来ていると思います。私は禅については全く知らなかったのですが、調べてみたところ「心を安定・統一させることによって宗教的叡智に達しようとする修行法」だということでした。やはり心を安定させるためには「自我を克服する」というのが重要で、それは人々に共通のテーマなのだなあ、と再確認したのでした。


たとえ今、何かで認められなくとも、いつかは誰かに認められるかもしれないし、たとえ人に認められなくとも善く生きる、我を張らずに謙虚に生きる、ということの意味は自分自身の中にあります。そこに意味を求めるべきであって、他のどこにも求める必要は無いのでしょう。自我を強くしなくても、仕事も生活もうまくやることは出来るのではないかと思います(また、そういう世の中になって欲しいとも思います)。ただ、自我を無くすということは大変難しく、そしてまた自我が無くなってしまったらそれはもうこれ以上進歩する余地が無いわけで、素晴らしいことなのだろうとは思うのですがなんだか寂しいようにも思います。努力をしたり、悩んだりすることもまた人には必要なことだと思うので、少しくらい自我があってもいいのかな、いびつな円でもいいのかなと甘く考えてしまいます。とりあえず、大きな自我を無くして○にしよう!というよりは、少しずつでも角をとっていく努力をしよう、と思ったのでした。


皆さんは、自我について普段どう考えておられますか?              


 


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