2003年12月号 

言葉を越えた夜


最近周囲の兄弟姉妹の間から、自分の信仰に対するノンムスリムの両親の無理解についての悩みをよく耳にする。


法事や墓参りといった、他宗教の行事に参加しないと言ったために、深刻な衝突となり、家を出てしまったり、子供のしつけで対立したり、またムスリムの友人からムスリムネームで呼ばれて、「○○とは誰だ、親が心を込めてつけた名前はどうしたんだ!」と怒りを買ったり、などなどー。ある若いブラザーは、何とか両親にイスラームの正しさ、素晴らしさを伝えようと話を持ちかけ、イスラームは親を大切にする教えなんだ、イスラームに入信して自分も親のありがたさを実感し、親孝行したいと思うようになったんだよと言うと、「イスラム教徒にならないとそんな気持ちが出てこないのか!」と返されて、結局物別れに終ってしまった、と肩を落として話した。


私も彼らと同様に、親の無理解と反発に悩んでいる一人である。私は生家が神道で、幼い頃から巫女に上がらされていたのを、成人してから両親の反対を押し切ってカトリックに改宗し、10余年も観想修道に狂信的にのめり込んだ挙句、半ばノイローゼとなって棄教、という愚かな過去がある。私にとっては、その迷妄の末に、アッラーの御慈悲によってムスリムとして新たな命を得ることができたと断言できる、まさに「幸いなる罪」に他ならないのだが、両親にとっては同じ轍をまた踏むのか、ましてや今度は悪名高きイスラム教とは!と、過剰反応になるのも仕方のないことだった。入信して2年近くなるが、何とか母にだけは事後報告で知らせたものの、父の方は未だに娘が、ましてや娘婿も、溺愛している孫までも、改宗したとはつゆ知らない。母に言わせれば、父がそんなことを知ったら倒れてしまうかもしれない、絶対秘密、できるだけ早く「やめてほしい」というわけだ。


せめて母にだけでも、少しでもイスラームを受け入れてもらえるようにといつもアッラーにドゥアーしてから会いに行くのだが、娘が訪ねて来るのには大喜びしてくれるが、その話を向ければさっと顔をこわばらせ、全く耳を貸そうとせず、怒りや猜疑心を露わにする。イスラームに対する誤解だけならば、少しは落ち着いて話もできるかもしれないが、自分の過去の過ちを持ち出されては、反論も大波にのまれる枯葉のように非力で、自分の愚かさがイスラームを敵視させたと思うと、言いようのないつらさで言葉が出なくなってしまうのだった。


そんなある日、不治の病で入院し、面会もはばかられるほど苦しんでいた伯母が、いよいよ最期が近いとわかり、わずかでも意識のあるうちにと、お見舞いにいった。


伯母は意識はあるが、譫妄という幻覚症状で、絶えずベッドから起きようとし、点滴の管をはずそうとする。


夜は薬を処方されてももう効かず、一晩中眠らないので、母が付き添うことになった。
67歳になる母は、寝ずの付き添いが不安そうだった。私はラマダーン中でもあり、伯母のためにも、母のためにもできるだけのことをしたいと思い、「私も付き添うから、ママは寝ればいいわ」と申し出た。


思いがけない私の言葉に母は驚いて大喜びしてくれた。


泊り込むとなると、伯母の病室で、母の目の前でサラーをしなくてはならない。翌朝は夜明け前にソフールをとり、その後サウムに入る。夜中に被り物をして祈ったり、断食したり―今以上にどんな反発を受けるだろうか。けれども逆に、これが何かの変化をもたらすかもしれない。私はなにか覚悟にも似た気持ちになった。


ところが、いざ行く日となると、不安と恐怖で心がいっぱいになってしまった。母のために、伯母のためにと思ってしたことが、かえってお互いにとってよくない結果になってしまうかもしれない。イスラームが親子の間のつまづきの石となってしまうなんて、絶対にまちがっている、そんな悲しいことをアッラーがお望みのはずがない―。けれども母の激しい言葉を思い出しては、ドゥアーをしても気持ちは一向に落ち着かなかった。


重い心でキブラに向かって座っていた時、ふと私たちの預言者(彼の上に平安あれ)のことを思い起こした。


彼が親族の年長者達にイスラームを伝えた時、どれほどの心身への暴力を浴びせられたことだったか。


何度言葉を尽くし、礼儀を尽くし、思いを尽くしても、返って来るのは彼を打ちのめす苦しみばかりだった。


預言者(彼の上に平安あれ)の苦しみと忍耐を思い、涙が頬を伝い落ちた。


私はたった二人の親を、ほんのわずかな試みですぐにも受け入れさせようとしては、早々に落胆する自分を恥じた。


弱い私には、この程度の苦しみも一人では負い切れないように感じてしまうけれど、預言者(彼の上に平安あれ)の偉大なスンナの蔭に依れば、耐えられる―。そう自分を励ました。
私がこれからするすべての行いを、アッラーが受け入れて下さいますように。


私の言葉と行いの過不足を、アッラーが補ってくださいますように。


どんな攻撃を受けても、私の信仰をお守りくださいますように。


そうドゥアーをして、病院へ向かった。


9時の消灯になり、看護婦さんの出入りも間遠になる頃に、私は今からイシャーの礼拝をするから、と母に告げた。


「これから礼拝をするから、ママは横になっていて、見たらまた腹立たしくなるでしょう?」と言うと、母はむっと黙って簡易ベッドに横になり、天井を眺めた。


ところが私がサラーを始めると、起き上がって、私のサラーを眺めている。サラーが終って私がちいさなサッジャーダをたたんでいると、思いがけず「お祈りって朝晩するの?」と尋ねてきた。「1日5回よ」と答えると、「5回もするの!ご苦労様ね!」私が笑って、「5回しかしなくていいのよ」と冗談まじりに言うと、呆れたと顔をそむけた。


それから夜半過ぎに母は伯母を私に任せて仮眠についた。


伯母は絶え間なく身をよじり、激しく痙攣する手をあちこちに振り上げては意味ありげな動作をする。


蝿を追うかのようにしきりにあたりを見回しては、私相手に幻覚で見ていることを喋り続け、相槌を求める。


私が伯母の震える手を握ると、人のぬくもりに心が安らぐのか、数秒感は静かに手を握り返して眼を伏せる。そうしてはまた私に微笑を向けて、かすかな声でつぶやきはじめるのだった。


こうして伯母の手を握り、微笑みに微笑みを向けていると、不思議な温かみが心を満たしてくる。


それはどちらも共にアッラーの無限の慈悲の中に守られ、包まれているという感覚だった。
理屈で言えば、伯母は不信仰者だろう。けれども苦しみに痙攣しつつも、手のぬくもりにやすらぎ、幻覚に微笑む姿を見ると、何故か痛ましさよりも、この人も確かにアッラーの慈悲によって造られた者だと思われ、共に慈悲によって生かされているという、血のつながりを越えた近しさ、いとしさを感じて、言葉にならないアッラーへの賛美と感謝が胸にこみ上げてくるのだった。

 


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