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2007年11月号
編集部より
犠牲祭が近づくと、預言者イブラーヒームがアッラーに命令され息子のイスマーイールを犠牲に捧げようとした、アッラーへの絶対的服従を物語る試練を思い出します。この話に限らないことではありますが、話の筋は知っていながらもそれを読んで感じたり考えることが時間を追うにしたがって少しずつ変化していくのを実感するときがあります。この故事に関していえば、当初は、本当にあったかどうかも分からない理解を超えた寓話、ぐらいの感想だったように思いますが、今年は、アッラーからの信託という視点で自分自身に置き換えて考えさせられています。
私たちに与えられているものはすべて、全存在の創造主であられるアッラーから授けられたものです。さらにいうならば、授けられたというよりは信託として預けられたというのがより正しいでしょう。この世で人間として、様々なものを享受する恩恵を受けた一方で、所有するあらゆるものを適宜相応しいやり方で取り扱い、使用する責任があるのです。また預けられたものである以上、いつかは元の持ち主が好むように処理されたり、持ち主に返すのが当然なのです。しかし私のような人間は預かりものであることを忘れがちで、価値を理解せず、また目先の欲深さから手放すことを恐れてしまうことがよくあります。
時間であれ、労力であれ、お金であれ、自分自身の心身であれ、手元に一時的に存在しているものをいかなる目的のためにどう使うのか、悩みながらも考えることは創造主が望まれることに思いを馳せ、自身のとらわれや存在意義を見つめることにもつながります。
日本国内で生活していると、犠牲祭、そして同時期に行われる巡礼への感慨が得られにくいものですが、この行事にまつわる逸話や体験談などを通じて、何かを感じ学びとっていけることを願っています。

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