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2006年9月号
編集部より
早いものであと一ヶ月もしないうちにラマダーン月がやってきます。この月にはさまざまな崇拝行為や善行が勧められており、断食だけが目的ではないのですが、外から見たラマダーンは、ラマダーンと言えば断食による苦行という捉え方も多いのではないかと思います。
ついでにイスラームといえば、断食以外にも食べることを禁止されているものも多くて面倒くさい教えという見方も多いでしょう。アレルギーなど特定の食物に体が反応する病気だったら食事制限があることを理解できても、神が禁じているからという理由では理解できないという、どちらかというと否定的な声も聞きます。
人間はなんといっても食べることで生命を維持しています。年齢、国籍、肩書き、学歴は異なっても、いくらえらそうなことを言っても結局食べなければ肉体的にも精神的にも生きてはいけない存在です。糧が人間存在の根本であるといっても過言ではないでし。そうであれば、食がいかに大切なものであるか常に考える必要があるのではないでしょうか。食べる物の取捨選択に始まって、食事の準備、形態や時間など、食に関わるあらゆる面が人間の生き方にも色濃く反映されてくるのだと思うのです。
先日、久しぶりにデパートの食品売り場に行く機会がありました。いつ行ってもその人ごみと熱気には圧倒されますが特に惣菜コーナーの賑わいは格別です。何十軒もの店がカウンターを並べ、美味しさや高級感、おしゃれさをアピールしている様子を目にし、様々なにおいが混じりあう中を歩きながら、ある意味人間の欲望の縮図を見ているような気分になりました。
美味しいものを食べたい、たらふく食べたいという欲求は誰にでも備わっているものですが、行き過ぎれば精神的なコントロールが全くきかない欲望の暴走に陥ってしまうでしょう。テレビをつければ美食を謳う番組や食を面白おかしく扱う番組も後を絶ちません。人の食への関心が尽きることはありませんが、楽しみとしての食、健康を保つための食、コミュニケーションの食など、食を巡る様々な場面がある中で、バランスの取れた食とは、より良い生きかたにつながる食はどういうものかを考え実践していく機会としてもラマダーンの断食を捉えてみたらどうでしょうか。

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