2003年5月号 

編集部より


 

何か知らないものに接したとき、私たちがとる態度はどのようなものでしょうか。興味をそそられ好奇心をもってその対象を見ようとする、もしくは見ても見なくても関係のなかったように無関心でいる、はたまたそこはかとない嫌悪感を覚え不安を抱き拒絶しようとする。

 

人間は自らを守るため、外から入り込む様々な事柄を取捨選択しています。しかし「守るため」とは何から自らの心身を守るためでしょうか。私たちが自分自身で判断した悪しきもの、もしくはアッラーが人間の弱さをご存知の上で避けるように命じられたものでしょうか。それとも他人の評判を損なわないため、自分の偏狭な自我が傷つくことを防ぐため、でしょうか。

 

人間にはよく知らないものを恐れる性質があります。そして偏見の目で見て排除しようとしたり、自分自身が持ちうるほんの浅い情報に基づいて一方的な自分に都合のよい判断をくだしたりします。他方で、その対象を知れば知るほど、深く理解するようになり、単純な好き嫌いの判断だけで物事をみることをしないようになります。そして好ましいと感じるものに対しては受け入れようとする心がより強まります。

 

イスラームでは知識を追い求めるよう奨励されています。それはテスト勉強のように規則を暗記して頭に情報を詰め込むことだけを指すのではありません。正しい情報に多く接して吸収し、実践しながら学びを広げることは、アッラーの慈悲や英知に関する理解をさらに深め、私たちがより幸福を感じながら感謝の気持ちと共に安心して生きられるようになる指針となるのです。

 

私たちに備わっている能力、例えば視覚や聴覚、嗅覚、触覚、味覚、そして考える力や感じる心・・・それらはなぜ与えられているのでしょうか?私たちは今、この能力を何のために使い、相互にどのように働かせているでしょうか?

 


Copyright (C) 2004 やすらぎweb.com. All Rights Reserved.